吉祥寺の歴史

吉祥寺のルーツという「諏訪山 吉祥寺」に行ってみた

最先端の流行の発信地でもあり、古き良き商店街文化を今に伝える街でもある武蔵野市随一の繁華街・吉祥寺。

そんな吉祥寺には「吉祥寺という寺」は存在しない、ということをご存知でしょうか。

当メディアでは吉祥寺の成立の歴史についての記事も発信しているので、当メディア読者の方であればご存知かもしれません。

ともかく、今の吉祥寺の街に「吉祥寺」という寺はなく、過去にあったけれど現在は取り壊されてしまったということでもありません。

しかし、吉祥寺の名前の由来となった寺は、吉祥寺にはありませんが、全く別の場所である文京区本駒込に現存しています。

今回は、「何故吉祥寺に吉祥寺という寺がないのか」にも簡単に触れつつ、吉祥寺から少し離れて、吉祥寺のルーツを今に伝える文京区の寺院「諏訪山吉祥寺」に実際に行ってみたレポートをお届けします。

 

吉祥寺には「吉祥寺」という寺はない!命名の由来とは?

まずは吉祥寺という地名の由来を簡単におさらいしておきましょう。

吉祥寺の名前の由来は、当メディアの既存記事でも何度か説明しているので、簡単に説明するだけに留めておきますが、詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。

吉祥寺駅に「吉祥寺」という寺がない理由を解説

簡単に説明すれば、吉祥寺の源流はかつての江戸城内「西の丸」に「諏訪山吉祥寺」が建立されたことに端を発します。

諏訪山吉祥寺は、室町時代の武蔵国守護代であった武将・太田道灌が江戸城築城の際に和田倉付近の井戸から「吉祥」の金印を得たことがきっかけとなり、開山として曹洞宗の僧・青巌周陽を江戸城内に招いて創建されました。

そして豊臣秀吉による徳川家康の関東移封(治める土地、すなわち本拠地を替えること)が命じられた際に、江戸城内より水道橋の本郷元町(現在の都立工芸高校)へ移転します。

更に、江戸時代の江戸城下街では「火事と喧嘩が江戸の花」と呼ばれるほどに火事が多かったことから、複数回の大火の影響を受け、諏訪山吉祥寺は現在の文京区本駒込の地に移転することになりました。

吉祥寺が今の地に移った明確なきっかけとなったのは「明暦の大火」と呼ばれる、江戸で起きた数多の火事の中でも最も大きく最も多くの死者・被災者を出した大火です。明暦の大火は「世界三大大火」の1つにも数えられていますが、その詳細は以下の記事をご覧ください。

吉祥寺の歴史を知る!未曽有の災害「明暦の大火」とは?

 

この未曽有の大火事によって諏訪山吉祥寺も類焼し、その際に門前の町人たちも焼け出されてしまうことになります。

その焼け出された町人たちに対し与えられた移住地が、五日市街道沿いに位置する現在の武蔵野市の土地であり、移住した町人たちがそこを開墾して「吉祥寺村」が開村することとなりました。

「吉祥寺」の由来は、門前の町人たちがかつて暮らしていた江戸城内の「吉祥寺」を懐かしんで村の名前にしたことなのです。

 

【行ってみた】「諏訪山吉祥寺」という寺は非常に巨大だった

吉祥寺の地名のルーツを知ったら、つい行きたくなるのが人の性というもの。

2021年5月某日、都心で丁度テレワークをしていた筆者は、自転車を借りて文京区本駒込にある「諏訪山吉祥寺」へ向かいました。

が、自転車で行く人はさすがに少ないでしょうから、一般的なアクセス方法をご紹介しておきましょう。

最寄り駅は2つあり、東京メトロ南北線「本駒込」駅、または都営三田線「白山」駅ですが、本駒込の駅の方が圧倒的にアクセスが分かりやすいうえ、近いです。(本駒込駅からは徒歩7分、白山駅からは徒歩12分)

門も複数ありますが、最もわかりやすいのは本郷通りに面した立派な山門。

本駒込駅2番出口から出ると、丁度本郷通り沿いに出られますので、そのまま北へまっすぐ3分程歩けば巨大な山門が見えてくるはずです。

山門を抜けると、大寺院ならではの長大な参道と、左右に巨大な墓地、様々な石碑が見えてきます。

かつては立派な七堂伽藍だったそうですが、東京大空襲で焼失し、山門以外の施設は戦後に復興されました。

境内には駒澤大学の前身となった学寮「旃檀林」(せんだんりん)が設立され、常時1,000人を超す学僧が出入りするなど、幕府直轄の教育機関であった「昌平坂学問所」と共に、漢学の一大研究拠点として大いに栄えました。

1,000人以上の僧が学ぶ寮舎が境内にあったというくらいですから、昔から非常に巨大であったことがうかがい知れますし、実際に訪れてみても充分に途轍もない広さを誇ります。

過去に吉祥寺の四軒寺を取材してきましたが、その4つの寺を全て合わせてもこの諏訪山吉祥寺の大きさには敵わないのではというくらいに大きな寺院です。

筆者は週末である土曜日の夕方に訪れましたが、コロナの影響か、そこまで混雑はしていませんでした。

 

  • 寺名:諏訪山吉祥寺
  • 住所:〒113-0021 東京都文京区本駒込3丁目19−17
  • 受付時間:9:00~16:00

 

【見所1】諏訪山吉祥寺は見所いっぱい!「八百屋お七」の石碑も

諏訪山吉祥寺には、一言で言い表すのが難しいくらいに見所が沢山あり、石碑もあちこちに飾ってありますので、そのすべてを説明しつくすことは難しいです。

その為、主な見所だけを簡単にまとめてご紹介します。

まずは、諏訪山吉祥寺に関する逸話として最もよく知られている「八百屋お七」の石碑からご紹介しましょう。

「八百屋お七」とは、先ほども紹介した江戸の大火に際した逸話の1つを生んだ若い娘のことです。

当時江戸で広く知られた井原西鶴による浮世草子『好色五人女』に取り上げられたことで広く世に知られるようになりました。

『好色五人女』巻四「戀草からけし八百屋物語」に取り上げられたエピソードとしては以下の通り。

江戸本郷の八百屋八兵衛の家が1682年の「天和の大火」によって焼け出され、一家は駒込の吉祥寺に避難。八兵衛の娘であったお七という少女は、この避難先の諏訪山吉祥寺にて、寺小姓(てらこしょう・寺の雑用を担当した少年のこと)の小野川吉三郎の手に刺さったトゲを抜いてやり、そのことが縁でお互いが意識するようになります。

そして寺の僧たちが弔いで数が少なくなった隙を見計らって、お七はこっそりと吉三郎の部屋に忍び込み、初々しい契りを交わすことに。

しかし、自由に恋愛や結婚ができない時代のことですから、翌朝吉三郎といるところを母に見つかったお七はひどく叱責を受けてしまい、新居の完成と共に明確な進展がないまま二人は離れ離れになってしまいます。

時間だけが過ぎていき、吉三郎と会えぬ日々を思いつめたお七は、家がもう一度火事になれば吉三郎と再び会えると考えて家に火を放ってしまいます。

火はボヤ騒ぎ程度の規模ですぐに消し止められましたが、当時放火は死罪に相当する重罪であったため、お七は火あぶりの刑に処され亡くなりました。

 

諏訪山吉祥寺には今も、この悲恋のエピソードを偲んで吉三郎とお七の「比翼塚」が建てられています。(比翼=故事成語「比翼連理」に由来する言葉で、男女の恋仲睦まじい様子を指す)

しかしこのエピソードはあくまでも『好色五人女』の中の話であって、実在のお七については諸説が入り乱れている状態です。

実説とされてきた『天和笑委集』『近世江都著聞集』ではそれぞれお七が避難した寺も、恋した対象の少年の名前も、エピソードの内容も異なり、今でも実説は確定していないままとなっています。

ただ、『好色五人女』の出版はお七の事件の3年後で、少なくとも「お七という娘が放火事件を起こして死罪に処せられた」のは事実のようです。

 

【見所2】諏訪山吉祥寺はお墓や像も多い!

諏訪山吉祥寺の本殿に向かって歩いてみると、所々に目立った墓や仏像などがあります。

参道付近の見どころとしてはまず、「吉祥寺大仏」と呼ばれる釈迦如来像があります。

先ほどご紹介した「吉三郎と八百屋お七の比翼塚」に程近い場所にあり、参道の左手側に建っています。

この仏像は鎌倉大仏のように蓮華の上に胡座の姿勢で座禅を組んでいますが、大きさは2~3メートルほどで、一般的に想像できる「大仏」のサイズとしては非常に小さいです。

しかし、「仏像」よりは大きいですし、しっかりとした存在感を持って立っていることから、まず見逃すことはないでしょう。

そんな吉祥寺大仏から少し先に進むと「二宮尊徳の墓」があります。

二宮尊徳といえば農村復興に尽力した偉人として有名で、特に幼少期の「二宮金次郎」の名前で知られ苦労人的なイメージが強い方です。

本堂を正面にみて左手側を見ながら山門方面からゆっくり歩いていると、すぐに見つかるはずです。

小学校などに設置されていることでもお馴染みの薪を背負った二宮金次郎像と、少し小ぶりな墓、その脇に銀色の説明書きの看板が設置されています。

その他にも参道右手側には明治の小説家であり詩人でもあった川上眉山の墓もありますし、参道からは少し離れますが経蔵(きょうぞう 仏教寺院における建造物(伽藍)のひとつで、経典等の書物庫のこと)のすぐ裏辺りには、戊辰戦争の終結となった北海道での箱館戦争時、新選組のリーダー土方歳三らと共に箱館城に籠城して戦った榎本武揚の墓もあります。

本堂まで山門から徒歩5分以上は歩かないと到達できないくらい境内は広いですし、見所はいっぱいですし、本堂がやっと見えてきたと思っても本堂の周辺は非常に開けた広すぎる広場があり、本堂が見えてもなお本堂は遠いという、非常に参拝が大変、とまでは言いませんが、それくらい広い寺院です。

そして、ようやく辿り着いた本堂を見上げれば立派な山号額「諏訪山」の文字。

この「諏訪山」の由来は、かつて開山した吉祥寺の土地が諏訪神社のものであったことに由来するのだそうです。

本堂脇には美しい吉祥観音も建っており、ここが「吉祥寺」であることをうかがわせてくれます。

その他にも、沢山の武将の菩提寺となったこともあって、旗本をはじめ有名な武将の墓も多数ありますが、多すぎるので省略します。

 

【注意点】諏訪山吉祥寺では現在、御朱印の授与は中止中

最後に注意点をいくつか。

趣味として寺社参拝の際に御朱印を授与されている方も多いかと思いますが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、現在諏訪山吉祥寺では御朱印の授与を全面的に中止しています。

寺務所の受付自体は午後4時まで開いていますが、感染拡大防止のためお檀家さん以外の入室もお断りしている状態です。

また、非常に広い寺院ですからトイレがあるものと思って入る方もいるかもしれませんが、残念ながら諏訪山吉祥寺には見学者用のトイレは設置されていません。

memo

トイレはあらかじめ参拝前に済ませておきましょう。

 

【まとめ】諏訪山吉祥寺という寺は歴史や見所の宝庫だった!

以上、吉祥寺のルーツと言っていい「諏訪山吉祥寺」の見どころや歴史を中心に解説しつつ、実際に訪れたレポートを含めてご紹介しました。

吉祥寺の名前のルーツとなった「諏訪山吉祥寺」は、吉祥寺にはない歴史や見所が詰まった歴史ある巨大な寺院でした。

吉祥寺が好きな方、吉祥寺に住んでいる方も、吉祥寺の名を生んだこの諏訪山吉祥寺を訪れ、武将や偉人の墓、八百屋お七の悲恋など、色々な見どころをじっくりと味わってみてはいかがでしょうか。

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