【中神円コラム】おせちの逆,大人の階段,許されざる町,夜どうなっているのか知りたい 他

目次

本編の前に

映画館で鑑賞する際、本編が始まる前に「鑑賞マナー」についてのムービーが流れることが大半だろう。

アップリンク吉祥寺では、カラフルな色づかいで描かれたキャラクターが敢えてマナー違反に該当する行為をするのだが、見せ方の癖が強い。

例えば、飲食は他の方の迷惑にならないようにということを伝えたいシーンで、登場人物は巨大なエビフライ(エビの天ぷら?)をバリバリと食べる。

映画館での飲食といえばポップコーンやホットドッグが定番のところ、なぜエビフライなのか気になってしまう。

その後も「上映中のおしゃべり」「前の座席を蹴らない」などお馴染みの注意が続き、「上映中に携帯電話が鳴り、電話に出てしまう」という最悪の展開になる。

今までは人間の形をしていても人間の言葉を話さず、アニメ特有の効果音で登場人物たちの会話が表現されていたのだが、このシーンでいきなり「もしもし?」とはっきりとした口調で話し出し、見ているこちらの意表をついてくる。

最終的にマナー違反をしたキャラクターたちが座っている座席の床が抜け、溶岩がぶくぶく煮立った地獄のような場所まで落とされそうになるのだが、すんでのところで免れ、天まで昇っていき、美しい映像をスクリーンで鑑賞している場面で終了する。

アップリンク吉祥寺が開館して以降、立地の利便性と魅力的なラインナップにより、数え切れないくらい訪れているが、その度にこのマナー映像を目にしていることになる。

内容も頭に入っているというのに、つい見入ってしまう中毒性がある。

物欲とミニマルな生活

昔からお金の使い方が一貫している。

マイボトル持参やコンビニで買い食いをしないなど普段の生活は切り詰めつつ、どうしても必要だと思ったものは多少無理してでも買う(例えばギターとか、パソコンは妥協せずに買った)。

服や化粧品など物が多いと思われがちなのだが、実際にわたしの家を訪れた友人は物の少なさに驚く。

一人暮らしをしていた頃は、そもそも家が狭いので必要最低限の物しか置けない状態だったのだが、結婚して多少家が広くなった今も物は増えていない。

そして二十代後半からは物欲も減ってきたように感じる。

友達付き合いや、食べてみたいもの、出かけたいところ、やってみたいことという「経験」に大半のお金を使っている。ところが、最近わたしは悩んだ末にある物を購入した。

それは吉祥寺にあるメルローズアンドモーガンのトートバッグだ。

キャンバス地に赤い文字のロゴが入っていて、街中でも持ち歩いている人を度々見かけて気になっていた。「MUFFIN」「BUTTER」など食べ物に関するロゴが可愛く、わたしは「BREAD」と書かれたものを購入した。

このバッグを下げてパン屋で買い物をすると気分が弾む。

十年前に買ったユニクロの服を今も着続けているくらい物持ちがいいので、物を増やすことを躊躇ってしまうが、必要なものを見極めつつ心地よい消費を楽しみたい。

軽くて丈夫なキャンバス地のバッグは今後当面の間、活躍してくれることだろう。

フェチとコンプレックス

「何かフェチはありますか?」と問われたときに、「手書きの文字フェチです」と即答している。

最初にそれを自覚したのは、少しガサツなイメージを抱いていた人から送られてきた荷物の伝票に記載されている文字が、まるでペン字の手本のように美しかったことがきっかけだった。

送り主の情報のほかにわたしの名前も記されているわけだが、わたしのほうが書き慣れているはずの名前ですら、向こうが書く文字のほうが圧倒的に美しかった。

そういうわけで、伝票や手紙や封筒、カードやメモに至るまで、そこに手書きの文字があればうっとり眺めてしまう(保険とかエステの会員向けハガキに添えられた手書きメッセージは社風が影響して書かされたものだろうから申し訳なく思う)。

さらに、わたしは綺麗な色紙やカード、シール、メモ帳が大好きだ。

幼稚園や小学校低学年までは、シールやメモを交換する遊びをしていたが、大人になった今でも本当はそうやって遊びたいくらいだ。

吉祥寺・本町にあるクラフト専門店「ペーパーメッセージ」は、オリジナルかつ季節物の柄が多く、商品の入れ替えも頻繁なため、いつ訪れても楽しくてつい買いすぎてしまう。

そして、買ったカードを早く使いたいがために、たいしたものを贈る場合でなくてもカードを添えてしまう。けれど、残念なことにわたしは字があまり上手ではない。

♪もしも字が綺麗なら 思いのすべてを文にして君に伝えることだろう~(※ピアノは弾けます)

ギターを弾くおとな

エレキギターを始めてから二年が経とうとしている。

愛用しているのはフジゲンのストラトキャスターで、白の木目調だ。

御茶ノ水へ選びに行った際に一目惚れしたのだが予算を大幅に上回ってしまい、購入を決めたときは同行していたギター経験者の友人も驚いていた。

初心者には分不相応だったかもしれないが、せめて一曲弾けるようにならなければと、後にも先にも引けない状況に追い込む要因になったことは結果として良かった。

ギター教室にも通い、少しずつ弾けるようになると、お手入れグッズやエフェクター類のアイテムなど、ギター本体をいじりたい欲求が湧き出た。

当初、吉祥寺本町にあるマンションで一人暮らしをしていて、幸いにも近隣は楽器店に恵まれていた。

ギターを背負い、あたかも昔から弾けますよという体を装い、澄ました顔でパルコ内の島村楽器をうろついていたが、結局スタッフさんに弦交換を頼んだ。

ギターの扱いに慣れているスタッフさんが行えばすぐに終わる作業だが、初心者のため一人で弦交換をしたことが無いと白状し、教えてもらいつつ交換してもらった。

島村楽器のスタッフさんも、購入時に同行してくれた友人も、ギター教室の先生もそうだが、長く楽器を経験してきた人は大人の初心者に優しい。

ギター少女になり損ね大人になってしまったが、常に短く切り揃えた爪とひび割れた指先を勲章のように掲げ、日々を過ごしている。

よく食べる

このところ外食する際は、自炊で作れない料理を求めるようになった。

その中の一つが「インド料理」である。

例えばカレーなんかは、家で作るものとインド料理屋で食べるものは全くの別物と言って良いだろう。

井の頭公園側に「夢・タージマハル」というインド料理屋があって、その店名が前々から妙に印象に残っていて、「ねえ、『夢』食べに行かない?」と友人を誘った。

いかにもインド料理屋という装飾が施された店内だが、スピーカーからはなぜか昭和歌謡が流れていて、異空間ながら実家に帰って来たような安心感がある(ちなみに昭和歌謡はこの日だけかと思っていたが、後日再訪した際も変わらず流れていた!)。

注文したカレーとナンのセットは、今まで食べてきたナン至上一番と言っても過言ではないくらい大きなナンだった。

その大きさに身構えたものの、スパイシーな香りに食欲が刺激され気が付いたら完食していた。

わたしは割とよく食べるほうなのだが、そういえば、インド料理やネパール料理店で「足りなかった」ことが無いような気がする。

食事を終えた様子を察して食器を下げに来たスタッフさんは、空っぽになったわたしの皿を見て、「よく食べましたね」と褒めてくれた。

完食を褒められるという幼少期以来の経験に恥ずかしくも嬉しい一日であった。

俳優と美意識

自分の職業を記す際は「俳優」としている。

なぜ「女優」ではなく「俳優」なのかというと、「女優」はなんとなく照れくさいからだ。

「女優」は美に余念のない人を想像されそうだ。

自分の見た目を卑下する意味ではないが、わたしはすっぴんに眼鏡とマスク、ばさっと着られるオーバーシルエットの着膨れ姿で大半を過ごしている。

夫も走馬燈に登場するわたしはヘアメイクを施された演者の顔ではなく、髪を束ねていつもの部屋着に身を包んだ眼鏡姿だろうと言っているくらいだ。

ただ、見た目が大きく関わる職に就いていることは間違いないので、肌と髪は常に万全の状態にするよう意識しているが、美容院は苦手だ。

髪は伸ばしっぱなしで、役柄で短くする必要があれば切るといった具合のため、数年に一度しか美容院へ行かない。

なぜ美容院が苦手なのか考えると、初対面の美容師さんと繰り広げられるテンプレートのようなトークが原因である気がする。

先日、友人の紹介で訪れたnora・吉祥寺は面白いことに「トークなし」というメニューがあった。

このメニューを選ぶと、最初に髪型の要望やカットの方針について話した後は一切の会話がないらしい。

「らしい」と書いているのは、わたしがこのメニューを選ばなかったからなのだが、「トークなし」メニューがどんなものなのかという話をあれこれ聞きたくなったがため
に、結局一般的なカットコースにしてしまった。

担当していただいた古沢さんとは、これで顔見知りになったので、「トークなし」メニューはわたしにはもう必要なさそうだ。

おせちの逆

昨年末、年越しから三が日を迎えるにあたり備えていたものがある。

それは「火鍋の素」だ。

大晦日は年越し蕎麦、三が日はおせちと和食が続くため、毎年一月四日以降はきまっておせちとは正反対の食味が恋しくなる。

年末年始にSNS上で、地域色や各家庭ならではのお雑煮やおせちの写真をいくつも見かけたが、正月明け一発目の普段の食事は何を食べたのかというところまで知りたい。

我が家は大体カレーやタイ料理に走りがちだが、三が日はお休みムードにかこつけて料理もあまり頑張らなかったので(おせちは母が作った)、久々の料理はリハビリも兼ねて鍋がいいだろうと考えていた。

十一月にアジア圏の輸入食品を扱う店、亜州太陽市場がオープンしたこともあり、今回は海底撈の火鍋の素を買っておいた。

東京にある海底撈の実店舗で食べた際、日本人向けにデフォルメされていない辛味が良かったのだが、鍋の素も現地直輸入品のため鷹の爪や山椒の量が容赦ない。

火鍋用の鍋は大抵真ん中に仕切りがついていて、店舗では麻辣スープと口直し要員の白湯スープの二種類が味わえるが、自宅用の鍋は仕切りなどないので麻辣スープ一種を食べ続けることになる。

真っ赤な麻辣スープを沸騰させると、鍋の中に小さな地獄が出来上がった。

冬というのに夫婦二人で汗と鼻水を垂らしながら鍋を食べたが、わたしの一月四日の食事としては最適解だったように感じる。

わんこティー体験

芙蓉亭が閉店すると知ったとき、名店が歴史に幕を下ろす寂しさに次いで気がかりになったのが、あの美しい建物の今後だった。

だから、芙蓉亭の建物をそっくりそのまま引き継いで、ムレスナティーが開店するという報は、子にふさわしい嫁ぎ先が見つかった親のような嬉しさがあった。

ムレスナティーは兵庫に本店を構える紅茶専門店で、厳選したスリランカの茶葉と自然なフレーバーを用いた一〇〇種類以上の紅茶を取り揃えている。

選択肢が多すぎるとどれにしようか迷ってしまうが、そんなときはまず二階のティーラウンジを利用してほしい。

千円弱で紅茶飲み放題のメニューがあり、店員さんがセレクトした紅茶をカップに注いでくれる。

飲み放題といってもそんなにたくさん飲めないのではないかと心配していたのだが、多くの種類を味わえるよう少量ずつのサーブなので、わたしが訪ねたときは十一種の紅茶を楽しむことが出来た。

そして、ぜひとも味わって欲しいのが追加でオーダー出来るミルクティーだ。

自宅で紅茶を味わうとき、出がらしにお湯を足して二番煎じまで飲んでしまうのだが、ムレスナティーのミルクティーは大量の茶葉を惜しみなく煮だして一杯ずつ作っている。

十二月に訪れて以降、三日に一度くらいの割合でムレスナティーに行きたくなっている。

恋愛でもこんなに思い焦がれたこと無いのに。

大人の階段

明けましておめでとうございます。

昨年から本コラムをご覧くださっている方も、今号が初めての方も、どうぞ宜しくお願い致します。

わたしは二十八歳で年齢はもう十分大人なのだが、未だに「またひとつ大人の階段を上ったなあ」と感じる瞬間に多々遭遇する。

そのうちの一つが、先輩に連れて行ってもらったバーでの出来事だ。

バーといってもいわゆる一般的なバーなら行ったことがある。

今回訪れた「SCREW DRIVER」はただのバーでは無く、ラム酒専門のバーなのだ。

世界各国500種ものラム酒を取り揃えており、その中から好みに合うものをマスターが見繕ってくれる。

「甘い風味のラム」というわたしのごく普通なオーダーに対して「チョコレート、クリーム、フルーツの甘さでいうとしたらどれが今の気分ですか?」と、より自分好みのラムに巡り合えるよう探ってくれる。

せっかくなのでストレートで注文し、舌の上に乗せるイメージで口に含むと鼻の奥に甘いアルコールの香りが広がる。

味覚だけでなく、香りを味わうというのはまさに大人の酒の楽しみ方で、もはやこの状況に酔いしれそうになる。

一方、私の隣に座っているラム酒玄人の先輩は一杯五千円のラムを呷りながら静かにシガーを嗜んでいる。

ラムだけでも大人なのに、さらにシガーまで……!

先輩が立っている大人の階段にわたしが追いつく日はまだずっと先になりそうだ。

こいの記憶

小さい頃、父親に連れられて度々井の頭公園を訪れた。

その時の記憶として強烈に覚えているのが池の「鯉」だ。

ボート乗り場へと続く七井橋から水面を覗いただけで、餌を貰えると勘違いした鯉が仲間の身体を乗り上げながら我先にと顔を出し、幼い私はその様子が怖かった。

そういえば、最近は池に鯉を見かけなくなったと思い、井の頭恩賜公園ホームページを見たところ、平成二十五年から三回実施されている「かいぼり」という池の水を抜く作業が影響のようだ。

かいぼりは在来種の保存や水質改善が目的で行われており、そもそも鯉はこの池では外来種の認識であったため駆除されていた。

確かにここ最近、水の透明度は高まり、水草や藻が増加したように感じる。夏場はオールに藻が絡まり、ボートが漕ぎにくそうに見えた時もあったが、池の生物たちにとっては餌や棲家が増え、良いこと尽くめである。

生息していない種もあるようで、かいぼりの成果さらに、井の頭公園にしか生息していない種もあるようで、かいぼりの成果に驚いた。

かいぼりで池の水を抜いた後、魚の捕獲や池底を歩くツアーも実施していたらしく、当時この情報を知らなかったことを悔やんだ。

捕獲に数人がかりを要する大物も潜んでいた。

たまにはコースで

食べるのが早い。

実家に居るときも一族全員が早食いだったが、夫と二人で暮らしてから、より早食いに拍車が掛かった気がする。

自炊をするときは一時間前後キッチンに立っているが、食べるとなると十五分足らずで完食して(されて)しまう。

時間と手間を掛けて作っても食べるのはほんとうに一瞬……生きていくには食べなきゃならないから一生作って食べてを繰り返すというのに。

外食も夫と二人の場合は、普段から家で一緒に過ごしている時間が多いため、食事中に交わされる会話は目の前の料理に関する感想がほとんどで、あとは黙々と食べることに集中する。

そのせいか、来店から退店するまでが早い(いっぺんに注文してすぐに食べ終えて帰るから、お店としては有り難いのか?それとも落ち着きがないと思われるか?)。

そんな私たちが唯一じっくりと着席して食事をする機会となるのが、コース料理を頼んだ時だ。

パン屋併設のレストランとして有名なBoulangerie Bistro EPEEで食事をとったときは、料理に合わせてその都度出される様々なパンを楽しみに、ゆっくりと時間を掛けて食事した。

ハード系のパンが多く、噛めば噛むほど穀物の香りが広がって美味しい。

「パンのおかわりはいかがですか?」と聞かれたら、恥ずかしげもなく「ください」と、つい即答してしまう。

供されるパンはお店で販売している物もあるので、気に入ったものは買って帰るのがおすすめ。

どうしてもせっかちな性格なのだが、たまにはエンターテインメント性の高いコース料理で、時間を掛けて食事を楽しむのも良い。

毛皮のコートを着たニシン

飲食店において、メニューに写真が無く説明書きのみの場合があり、その際は文章を手がかりに頭の中でどんな料理なのか想像する。

今までで一番度肝を抜かれたのが、アトレ吉祥寺脇に位置する「Cafe RUSSIA 」で提供されている「毛皮のコートを着たニシン」だ。
料理の名前に「コート」という衣類の単語が含まれている点に痺れた。

そもそもニシンの料理もそこまで馴染みがないが、そのニシンが着ているという「毛皮のコート」が一体何なのか気になり、すぐさま注文した。
程なくして運ばれてきた料理を見ると、表面が色鮮やかな赤色をしている。

この赤はビーツによる自然な色で、その下にはポテトとニシンのサラダが層になっている。

派手な見た目だが味わいは素朴で、ボリュームも多いのにぺろりと食べきれてしまう不思議なおいしさだ。

ほかにもロシア伝統のピロシキやボルシチ、ビーフストロガノフをいただいたが、異国の料理でありながら、家庭的な雰囲気を感じとれる味わいなのが落ち着く。

ロシアへ行ったことはまだないが、毛皮のコートを着たニシンは当たり前に家庭で供されているのだろうか。

日本の家庭料理でこういうお洒落な呼び名がつくものが無かったか頭の中を巡っているが、このインパクトに勝るものはそう見つからないかもしれない。

黄色い包装紙

吉祥寺で目にする行列といえば、メンチカツでお馴染みの「さとう」が思い浮かぶだろうが、サンロード商店街の路地を入ったところで人知れず行列を作っている人気店が「クレープハウスサーカス」だ。

味のある手書き文字で多数のメニューが記載され、ほとんどが300~400円前後とお手頃。

「バターシュガー」といった素朴なものや「ハム・レタス」などの一度は食べてみたいおかず系クレープもあり、惹かれる。

悩んだ末「生クリーム+カスタード」を注文し、無造作に並べられた店先のベンチに座って、聘珍樓のビルを眺めながら食べると、ここはどこか旅先なのではないかという気分になる(ベンチに座ると視界の真正面がスポーツジムなので、なんとなく現実逃避で右側を見てしまう)。

ぐるぐると何層にも巻きつけられたクレープは、クリームが相当入っているのか、手にずっしりとした重さがある。

そして、絵柄や文字が一切入っていない黄色い包装紙に包まれているところがまた良い。

大体、クレープは食べ進めるにつれて、先に具が無くなってしまい、残るは生地と申し分ばかりのチョコソースだけといった事態になりがちだけれど

サーカスのクレープは最後の一口まで溢れそうなクリームでいっぱいだった。

食べ始めてから最後まで満足感が変わらないのって、すごい。

許されざる町

わたしは小学校卒業後、地元の中学へは行かず、女子校に進学した。
当たり前だがクラスメイトは、東京のみならず、埼玉、神奈川、さらには山梨から毎日始発で通学するといった、住んでいる場所が皆一様に違った。だから、休日に友達同士で遊びに行くとなると、どこか場所を決めて集まるしかなかった。

小学校までは子供だけで電車に乗って遊びに行くということはほとんどなく、移動手段といえば専ら徒歩(かけ足?)か自転車で、遊び場も校庭とか公園、せいぜい隣駅の商店街をぶらつくとかだったので、中学生になって映画やカラオケ、プリクラに誘われた時はものすごく高揚した。

しかし、中学生のうちはどこかへ行くには一応、親に報告しなければならず、「原宿」「新宿」「池袋」あたりのワードを口にした時の母の表情は渋かった。
だが、唯一、出かけるのを快く承諾された町がある。

それが「吉祥寺」だった。

サンロード商店街をひと通り歩き、ロフトの地下のゲームセンターでプリクラを撮り、井の頭公園(時間に余裕がある時は動物園も)を一周すればあっという間に時間は経ち、中学生にとって満足な遊び場であった。大人になったいま、改めて吉祥寺を訪れると、母が子供の遊び場として快諾した理由もよく分かる。吉祥寺は母と子の要望の天秤が釣り合う不思議な町だ。

愛しの308

結婚して夫と暮らし始めるまで、吉祥寺で一人暮らしをしていた。
吉祥寺は自分には高嶺の花のような地だと思い、物件探しの候補には入れていなかったのだが、不動産屋の担当に「アップリンクの座席まで徒歩5分の良い物件があります」と勧められ、内見もせず即決した。

三階の角部屋、ベランダ付き、狭いけど良い部屋だった。

思い立ってふらりと映画を観に行き、酔い覚ましに井の頭公園を散策した時間は夢のようだった。

新しい地での夫婦二人暮らしにも慣れてきた頃、わたしは宅配の宛先を変更するのを忘れ、荷物が吉祥寺のマンションへ置き配されてしまった。

悩んだ挙句取りに行くと、見慣れたドアの前に荷物はちゃんとあった。
外から周ってマンションを見ると、ベランダに物干し竿は掛かっておらず、剥き出しの窓が見える。どうやらまだ空室のようだ。

そのことになぜかわたしは安堵した。

理解されないかもしれないが、別れた元彼にまだ彼女がいないと分かったときの気持ちに似ている。

早く新しい住人が見つかるといいね。

でも、見慣れない洗濯物が干された308号室のベランダを見たら、きっと少し切なくなるに違いない。

10秒の隔たり

わたしは専門店が大好きで、スーパーに行けば一度で済むところ、八百屋、魚屋、肉屋とわざわざはしごすることも多い。

スーパーだって新鮮で良いものは揃っているが、「それだけ」を扱っている専門店に大いに魅力を感じるのだ。

吉祥寺にある専門店のうち、中神の好物であるチョコレートを扱っているのがプレスキルショコラトリーだ(我が家の昨年のクリスマスケーキもこちらのもの)。

ここの看板商品のひとつにフォンダンショコラがあり、実はお土産用にも自宅用にも何度も購入している。

そのままでも冷やしても美味しいが、すっとスプーンを入れたときに中のチョコレートがとろりと溢れ出すフォンダンショコラの醍醐味を楽しむためにレンジで温める。
公式サイトを見ると「600Wで20~30秒温める」との記載があり、わたしは逡巡してしまった。

「10秒の隔たりは大きくないか?」

結局、間をとって25秒温め、無事に美味しくいただいた。

今度は20秒と30秒、まるで理科の実験のようにそれぞれ食べ比べてみようと思う。

冬のお楽しみ

自炊をするときは、大体いつもスーパーで食材を見て、それから献立を考え始めるのだが、今日はもう絶対おでんにしようと思って、昨晩から鍋に水を入れ、昆布2枚と煮干し3匹を浸けておいた。

おでんのメインキャストとしてわたしが迎え入れたのが、吉祥寺の「つかだ」の練り物たち。
つかだはダイヤ街に位置する、練り物やおでん種の専門店で、いつ行ってもお客さんで賑わっている吉祥寺の人気店だ。
お馴染みのおでんの具材から、ちょっと変わり種の練り物もあり、とにかく種類が豊富なのでいつも選ぶのに悩んでしまう。

自分の前に並んでいるベテラン主婦さんたちが何を選ぶのか、様子を伺いつつ、レンコン天、豆天、それと日替わりで半額になっていたひじき天、餅入り巾着、牛すじを買った。

今日ここに並んでいるみんなの食卓も、やはりおでんなのだろうか。そう思うとなんだか可愛い。

夜どうなっているのか知りたい

夜の井の頭公園を散歩してみたいとずっと思っていた。
けれど、ひとりで行ってみるのは心もとなく、なかなか機会に恵まれずにいた。
八月も終わりに差し掛かった頃、今年初めの映画の現場で一緒になり、すっかり仲良くなった照明部の友人と遅めの時間から吉祥寺で飲むことになった。

店を出たあと、二人の足は自然と井の頭公園へと歩き出す。

夜の井の頭公園は、自分たちと同じように散歩をしている人や、暑くなる前に犬の散歩を済ませようとしている人、ランニングをしている人が点在しているだけだった。

普段は池に散り散りになっているスワンボートも行儀よく整列している。

動物園の動物たちもきっと今は眠っているのだろう。

人間が生活するすぐ傍で動物が暮らしていると思うと不思議な気持ちになった。

「人とすれ違いそうになったらゾンビの真似をして驚かせよう」と話していたが、次に出くわしたのが警備員だったのでやめた。

野球場まで歩き、誰かの忘れ物のバットとボールで遊んだ。公園のブランコだって、子供がいない夜なら大人が乗ったっていい。

気づいたら汗をかくほどはしゃいだ。

今年の夏は海もプールも行けないまま、あっという間に終わってしまった。

わたしの唯一、夏らしい思い出がこの夜かもしれない。

ポークジンジャー

お腹が空いたが自炊も面倒…そんな時は「カヤシマ」へ向かう。

初めて「カヤシマ」へ訪れたのは、まさに「吉祥寺ってこんな街」のライター面接時だった。

レモンソーダを注文し、編集長たちが来るのを待っていたが、某ビールメーカーのジョッキに入って運ばれてきたので、昼から酒を頼んだと思われるのではないかと内心ヒヤヒヤした。

「ここは、豚の生姜焼きを『ポークジンジャー』って記載しているんだけど、それが言い得て妙なんだよ!」
面接時にそう語っていた編集長の言葉を思い出し、メニューを見ると、ポークジンジャーカレーという、なんともよくばりなメニューがあったのでそれを注文する。
「確かに、これはポークジンジャーだ!」

ほんのり甘い味付けの豚肉が、具材の角が取れるまで煮込まれた辛口カレーとマッチする。

「豚の生姜焼き」と「ポークジンジャー」。

言葉の持つ意味に違いはないが、表記によって味のニュアンスの線引きがされている気がする。

カヤシマの味は、たしかに紛れもない「ポークジンジャー」だった。なぜだろう、それがしっくりくるのだ。

見つかるまでは踊れそうにない

♪探しものは何ですか 見つけにくいものですか心の中で諳んじつつも、わたしは今年一番焦っていた。

というのも、祖母から貰ったパールのイヤリングが片方無くなっていることに気づいたのだ。

最寄り駅から電車に乗り、出先で歩いているときの出来事だ。

鞄の中や身に着けている衣類の間にも無かった。

普段ピアスに慣れているわたしは、イヤリングを貰ったときに「もしかしたら落とすかもな」と一瞬よぎっていた。

その不安が的中してしまった。

出先で落ち着かないまま過ごし、諦めつつも見つけ出したい気持ちもあり、下を向いて帰路を行く。

するとアスファルトの上にきらりと光る小さなものがあった。

驚くべきことに、イヤリングを見つけることができたのだ。

何の変哲もない道端で、わたしは一人踊り出したい気持ちになった。

せっかくわたしの手に返って来てくれたのだから、もう二度と落としてはいけないと、「宝石主治医 パールズ・ホワイト」へ持っていき、イヤリングからピアスへの交換を頼んだ。

お店も混んでいたので預かりになるだろうと想定していたが、すぐにその場で付け替えてくれた。

無くしかけたいきさつを話すと「それはもう一生のお守りになりますよ」と、店主さんに励まされた。

本当にその通りだと思った。

見送ってばかり

最近わたしは見送ってばかりいる。

台湾へ帰る憧れの人を有楽町で見送り、名古屋へ帰る年下の女の子を日本橋で見送った。

そして、中学高校の同級生である付き合いの長い友人を、吉祥寺で見送った。

彼女を初めて見かけたのは、中学一年になったばかりの春で、料理部の体験入部だった。

入学早々知り合いたての数名で何となく群れながら、クッキーを焼いていたのだが、彼女はひとり飄々としていたのが今でも印象に残っている。

結局わたしは同学年の部員数が四人しかいない軽音楽部に入部しバンドを組み、彼女は運動部に入部したのだが、彼女はバンドメンバーの一員のように、気がついたらいつも一緒にいる仲になっていた。

そんな彼女の実家は吉祥寺にあり、十月に彼女が帰省してから度々遊んだ。

そして、彼女が東京で過ごす最後の夜、わたしは彼女を見送るために吉祥寺に来たのだった。

井の頭公園のベンチで予測不能で可能性に満ち溢れた未来の話を聞き、いせやの前でツーショット写真を撮った。

「元気でね。気をつけて」「また春には帰るから」大人同士が人目も気にせず抱擁を交わすと、近くに立っていたおじさんも「気をつけてね!」と彼女に声をかけた。

次第に小さくなっていく彼女の背中を見送っていると、「ところで彼女はどこに帰るの?」とおじさんに尋ねられた。「ドイツですよ」わたしが答えるとおじさんは目を丸くした。

言葉も分からないままひとり異国の地へ赴き、たくましく生活している彼女の友人でいることが誇らしい。

今度彼女が帰って来る頃には、公園に桜が咲いていることだろう。

中神円

1993年(平5)7月30日、東京生まれ。スカウトを受けて芸能界入り。

15年にTBS系「ホテルコンシェルジュ」、17年にテレビ朝日系「ドクターX~外科医・大門未知子~」に出演。

[出演作品] 映画「空の瞳とカタツムリ」 ビッケブランカ MV 「ウララ」

脚本や監督も務める。2020年12月、芥川賞受賞作家羽田圭介と結婚。

ひとりの時間

結婚してからも、わたしは自分の時間を満喫しているほうだと思う。

趣味である映画鑑賞や書店めぐり、阿波踊りの稽古やギターのレッスンなど毎週何かしら出かけている。

ただ、唯一変わったことと言えば、一人でカフェや外食をする機会がうんと減った。

夫がお腹を空かせたときにつまめるよう、冷蔵庫の中には多めに作っておいた夕飯の残りや作りおきのおかずが常にストックされているからそれを食べればいいと思うと、一人での外食が急に贅沢なことのように感じられて仕方がなかった。

ある日、アップリンクで映画を観たあと、日が暮れるまでにまだ時間があったので初めて多奈加亭へ行ってみた。

一人でお茶をするのは本当に久しぶりで、想像以上に豊富なドリンクメニューに悩み、輪切りレモンとバニラアイスが添えられたフレンチトーストと、カシスヨーグルト風味の泡がのせられたアイスティーを静かな店内で楽しんだ。

食べながら観た映画の感想や好きだったシーンについて考え、アイスティーのグラスの底に残った最後のひとくちは啜ると甘かった。

とても穏やかで満ち足りた時間を過ごし、家路につくため電車に乗る。

お腹が空くまでまだ時間がかかりそうだけれど、今日の夕飯は何にしようか。

一期一会について

ギター教室の帰り、ハモニカ横丁を通って駅まで行こうとふと思い立った。

ギターケースを背負いながら、立ち飲み客で賑わう細道を進んで行くと、自分の父親よりも年上らしい喪服姿の男性に声を掛けられた。

「お! かっこいいね、なんか弾いてよ」「これ、エレキギターなんでアンプに繋がないと音が鳴らないんですよ」と道すがら答えつつ、気がついた頃にはおじさんの隣で飲み始めていた。

話を聞くと、おじさんは若くして奥様を亡くされ、男手ひとつで子供たちを育てたという。

子供たちはみな既に独立し、一人になった今、こうして外で飲むのが日々の楽しみなのだそうだ。

場の空気にあまりに馴染んでいたので、てっきりハモニカ横丁の常連なのかと思いきや、葬儀で偶然近くに来ていただけで、吉祥寺で飲むのは初めてらしい。

「なんでも挑戦してみなよ。失敗してもいいんだから。

やらなかったことを悔やむより良いだろう」そう言って、おじさんは香典返しで貰ったという泉屋のクッキーをわたしにくれた。またおじさんに会うことはあるだろうか。

あの後、家に帰ってクッキーを食べながら、台湾留学へ行くことを決心したんだよ、とおじさんに言える日がいつか来たら嬉しい。

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