吉祥寺の歴史

吉祥寺「F&Fビル」の歴史を徹底調査!

吉祥寺解説員
吉祥寺解説員

「地元のお店を再発見」をテーマにしたフリーマガジン『吉祥寺時間』です。

この記事では、吉祥寺「F&Fビル」の歴史をご紹介します。

吉祥寺の「F&Fビルといわれても、すぐにはどこのスポットのことかが分からない方もいらっしゃるかもしれませんが、「『コピス吉祥寺』があるビル」と聞けばすぐに分かると思います。

吉祥寺駅北口を出て、サンロードを左に入った、本町新道と元町通りの間に、ペーニーレーンを挟んでA館とB館を構える商業・文化ビル「F&Fビル」は、他のショピングビルとは少々異なる背景や歴史を有する建物との情報を入手しましたので、誕生の経緯やその後の経過などを徹底調査しました。

誕生から「伊勢丹」の閉店まで|吉祥寺「F&Fビル」の歴史

「伊勢丹」吉祥寺店

「F&Fビル」の誕生の経緯を調べてみると、1963年(昭和38年)5月、後藤喜八郎氏の武蔵野市長への就任に遡ることができます。

後藤新市長の主導による「吉祥寺駅周辺再開発事業」の目玉として、旧・藤村音楽体操学校(1964年解体)の跡地に、大手百貨店「伊勢丹」を誘致することになりました。

1968年(昭和43年)に着工した新ビルは、1971年(昭和46年)にB棟が完成し「伊勢丹」吉祥寺店が開業。

翌1972年(昭和47年)にはA棟が完成して、同年の3月に「エフエフショッピングセンター」として全面開業しました。

2002年(平成14年) には武蔵野市立吉祥寺美術館もオープンしましたが、2000年代以降には建物の老朽化が著しくなり、2004年(平成16年)から約2年間かけて「耐震改修・外装リニューアル工事」が行われました。

しかしその後、周辺地域の商業の競争が激化してきたことや百貨店不況などにより伊勢丹の収益が悪化し、ついには2010年(平成22年)に閉店することになってしまいました。

「伊勢丹」吉祥寺店の歴史|吉祥寺「F&Fビル」の歴史を徹底調査

「閉店セール」時の「伊勢丹」吉祥寺店

「閉店セール」時の「伊勢丹」吉祥寺店

「伊勢丹」吉祥寺店は、三越伊勢丹ホールディングスグループの中心企業である株式会社伊勢丹(当時)が直営し、1971年(昭和46年)11月10日から2010年(平成22年)3月14日までの「38年、460カ月、14,035日」にわたって営業されました。

出店から3年ほど前の1968年(昭和43年)の「吉祥寺に百貨店を誘致する住民アンケート」において、51.3%の消費者から厚い支持を受け、当時建設中だった「F&Fビル」のキーテナントとして、伊勢丹を誘致することが決定されました。

1971年(昭和46年)11月10日に、吉祥寺地区における最初の百貨店として「伊勢丹」吉祥寺店が誕生。

その後、1974年(昭和49年)に開店した「近鉄百貨店」東京店や「東急百貨店」吉祥寺店とともに熾烈な競争を展開し、吉祥寺を代表する4大商業施設の一つとして「東の近鉄、西の東急、南の丸井、北の伊勢丹」と称され、武蔵野市民や買い物客の方々に長く親しまれてきました。

その中で「伊勢丹」は、「ファッション・ブランド志向の強い百貨店」として存在感を示して、1997年(平成9年)3月期には、221億円もの売上高を計上し、同店開店以来の最高収益を達成しました。

しかし、2000年代に入ると周辺商圏の競争がさらに激化してきたことや百貨店不況などにより収益が悪化し、2009年(平成21年)3月期の売り上げは174億円にまで落ち込んだため、2009年(平成21年)5月には「伊勢丹」吉祥寺店の閉店が決まりました。

2009年(平成21年)10月から半年近くにわたり「感謝セール」を大々的に展開し、2010年(平成22年)3月14日の営業最終日には、「閉店セール」目当てで来店した客で大賑わいとなりましたが、最終日の19時を以て全営業を終了し、38年に亘った歴史に幕を下ろしました。

閉店時のフロア構成は、「B館(地上8階、地下1階)全館」と「A館(地上6階、地下1階)」でした。

新生「F&Fビル」へ|吉祥寺「F&Fビル」の歴史を徹底調査

2009年(平成21年)秋、翌年3月の「伊勢丹」閉店の決定に伴なって、邑上(むらかみ)武蔵野市長の主導による吉祥寺駅周辺地区の再開発プロジェクト『進化するまち「NEXT―吉祥寺」』の目玉の一つとして、新たな都市型ショッピングセンターの出店を目指すことになりました。

2010年(平成22年)5月12日には伊勢丹による建物の明け渡しが行われ、開業に向けての改装工事とテナントの調整に入り、2010年(平成22年)10月15日に、「コピス吉祥寺(Copicce Kichijoji)」の開業を迎えました。

「Coppice(コピス)」とは英語で「雑木林・小さな森」の意味で、「色々な木が集まる楽しい森」のイメージから名付けられました。

また、「CO(共に生きる)+(S)PICE(活気づける・刺激する)」という意味もあり、「吉祥寺の人々と共に生き、街の中心となって、いつもの生活に新しい刺激をもたらす商業施設でありたい」という願いが込められているそうです。

コピス吉祥寺

コピス吉祥寺

コピス吉祥寺は、B館全館(旧・伊勢丹)および A館地上1~6階+地下1階(コピスエフエフ含む)を使用して、のべ100店舗前後で構成されるショッピングセンターです。

施設のコンセプトは「Kichijoji Style Community(吉祥寺スタイル・コミュニティ)」で、管理運営は、三菱商事都市開発株式会社(三菱商事の子会社)。

主な店舗としては、食料品スーパーの「三浦屋」(地下1階)、「ICI石井スポーツ」(B館4階)、「ジュンク堂書店」(B館6・7階、店舗面積3,400平米の吉祥寺最大の書店)、キデイランドがプロデュースするキャラクターGoodsの専門店「キャラパーク吉祥寺」(A館6階)などのほか、「酒田市役所東京吉祥寺テラス」などの公共施設も入っています。

武蔵野市立吉祥寺美術館

武蔵野市立吉祥寺美術館

武蔵野市立吉祥寺美術館は、日常生活と文化・芸術を結び親しむ場として、2002年(平成14年) 2月にA館7階に設立。

収蔵作品は、1972年(昭和47)年に武蔵野市へ遺品を寄贈した野田九浦の日本画をはじめ、油彩、版画、写真など約2,500点にのぼります。

館内は「企画展示室」「浜口陽三記念室」「萩原英雄記念室」という3つの展示室で美術作品を順次紹介。

「企画展示室」では、これら収蔵品の紹介のほか多様なジャンルの表現を紹介する各種企画展を開催、 また市民の創作発表の場「市民ギャラリー」として、武蔵野市民の芸術活動をバックアップしています。

「浜口陽三記念室」「萩原英雄記念室」では、両作家の版画作品や関連資料を常時展示・紹介。

また、講演会やワークショップなどの教育普及活動にも力を注ぎ、施設規模は小さくても、『観る・創る・育てる』をモットーとした美術館活動をめざしています。

また、展覧会図録、絵ハガキ、美術館オリジナルグッズを集めたミュージアムショップもあります。

「武蔵野市立吉祥寺美術館」へは、A館6階「キャラパーク吉祥寺」から直通の入口専用階段で行けるほか、元町通り側に「吉祥寺美術館」用の正面入り口から直通エレベーターも運行しています。

入館料
・常設展:100円
・企画展(一般):300円
・企画展(中高生):100円
※企画展の料金には常設展の料金を含みます
※小学生以下・65歳以上・障がい者は無料

吉祥庭園Sora(閉園)

吉祥庭園Sora

A館3階屋上には、屋上庭園吉祥庭園Soraがありましたが、残念ながら2020年1月13日をもって閉園となってしまいました。

「人の集まる場所」「癒しの広場」「屋上緑化」をキーワードとして、武蔵野台地のあちこちで見られた雑木林や里山の風景を再現するべく、2006年に作られましたが、「施設老朽化などの諸事情による一時閉鎖」とのことですが、後継施設は現時点では未定です。

まとめ|吉祥寺「F&Fビル」の歴史を徹底調査

「ハモニカ横丁」をはじめとして『昔ながらの風情』を今に伝える吉祥寺の街ですが、「東の近鉄、西の東急、南の丸井、北の伊勢丹」と称された吉祥寺の4大商業施設は、今回紹介した「伊勢丹」吉祥寺店は「コピス吉祥寺」となり、「近鉄百貨店」東京店は「ヨドバシ吉祥寺」へと変わっていきました。

「吉祥寺時間」ではこれからも、昔から変わらない吉祥寺の魅力変わりゆく吉祥寺の魅力のどちらにも注目して、様々な吉祥寺の情報をお伝えして参ります。

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