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吉祥寺『成蹊大学』の歴史や現状を詳しく解説!|吉祥寺時間

吉祥寺解説員
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「地元のお店を再発見」をテーマにしたフリーマガジン『吉祥寺時間』です。

この記事では、成蹊大学の歴史を徹底調査します。

「吉祥寺の大学」と言って真っ先に思い浮かぶのは成蹊大学ではないでしょうか。

学生だけでなく市民の目も楽しませてくれている正門前のケヤキ並木は、学園もののドラマでよく使われる撮影スポットであり、東京都「新東京百選」や環境省「残したい日本の音風景100選」にも指定されています。

また最近では、元首相の安倍晋三氏の出身校としても改めて注目を集めました。

成蹊大学は、「六大学」や「GMARCH」「日東駒専」のような有名な大学群ほどは知名度は高いとは言えないものの、「GMARCH」に次ぐレベルの偏差値を誇っている上位大学です。

今回は、この成蹊大学とはいったいどんな大学なのか、その歴史特長建学精神著名な卒業生などを徹底的に解説していきたいと思います。

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六大学(東京六大学)
東京六大学野球連盟に加盟所属する、早稲田大学、法政大学、明治大学、慶應義塾大学、立教大学、東京大学の6校を指し示す大学群。

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GMARCH
主に都内を中心にキャンパスを構える有名私立大学である学習院大学、明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の6つの大学の頭文字をとった総称。

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日東駒専
東京都に本部がある私立の総合大学のうち準難関私立大学の、日本大学、 東洋大学、 駒澤大学、専修大学の4校の各大学の漢字表記の頭文字を組み合わせた総称。

成蹊学園の歴史と沿革|成蹊大学の歴史を徹底調査

成蹊学園

一人の人間の理想と、二人の親友の協力から始まった「成蹊園」

1896年(明治29年)に、東京高等師範(現筑波大学)附属中学校を卒業した3人の少年がいました。著名な国文学者中村秋香の長男である「中村春二」、今村銀行の御曹司「今村繁三」、それに三菱財閥の総帥岩崎彌之助の長男「岩崎小彌太」です。

入学時の校長である会津武士の末裔「山川浩男爵」と、途中で代わった新校長の講道館の開祖「嘉納治五郎校長」は、ともに「武士道の精神」を説いたため、多感な少年たちは大きな影響を受けて成長しました。

卒業後、中村と岩崎は第一高等学校に進んで哲学にふけり、人間性を探求し自由主義・個人主義の理想に燃え、その後中村は東京帝国大学の国文科に進みました。

岩崎は同じく英法科に進みましたが、中退してケンブリッジ大学に留学しましたが、そこには、中学を卒業するとすぐ英国に留学した今村がいました。

中村は、帝大を卒業すると嘉納校長の招きで母校の教壇に立ちますが、単なる授業だけでなく教え子の生活全般に体当たりで接する中村は、さらに一歩進めて「学生塾を持ちたい」と考えるようになりました。

そこで1906年(明治39年)、本郷区(現文京区)西片町の中村の自宅に、学生塾「成蹊園」を開塾し、英国から戻り家業の銀行を継いでいた今村と、帰国して三菱合資会社の副社長となっていた岩崎は、中村の「個人主義と自由主義を基礎にすえた人間教育」に共鳴し、有形無形の援助をしていくようになります。

ここに「成蹊学園」の歴史の1ページが開かれました。

教育こそが社会を変えうる力である、「成蹊実務学校」創立

この「成蹊園」を土台に、中村は「24時間学生と接することのできる全寮制の学校を起こすべきだ」と考えるようになり、「中学を卒業して高等専門学校に進学する希望を持ちながらも、学資に窮している有為の人材を対象として無月謝の学校をつくる」ことも目的として、1912年(明治45年)年、創立者を中村春二、賛助員を岩崎小弥太と今村繁三として、池袋に「成蹊実務学校」を創立しました。

設立趣意書には「教育こそが社会を変えうる力である」と述べられ、「無月謝、教科書貸与」「定員1学年25名」「活きた学問の指導」「道徳の実践」などの特色を打ち出しました。

科目としては特に数学と英語が重視された教育の元、「在学中に英字新聞が読め手紙が書けること」「英語で外国人と会話できること」が目標とされ、少人数制の国際化を視野に入れた人間教育がなされていました。

池袋から吉祥寺へ、成蹊実務学校から成蹊学園へ

吉祥寺に移転

「成蹊実務学校」で個性重視の新教育が展開されていることを知った識者たちは、「成蹊教育こそ日本の形骸化した教育界に新風を吹き込むものである」と注目しましたが、「中学校令」による学校ではないため、高等学校、大学への進学が難しいという問題も浮上してきました。

このような背景の元、「中学校令による学校を新設し、徳育面を重視した人間教育を実施して欲しい」という声に応えて、1914年(大正3年)に「成蹊中学校」を創設し、翌年には「成蹊小学校」、1917年(大正6年)には「成蹊女学校」と「成蹊実業専門学校」が創設されました。

その後、「成蹊学園」は「成蹊教育を、小学校に始まり中学校、高等学校へと続く一貫体制に改める」方針を決定し、1924年(大正13年)には創立者中村春二の逝去という悲痛な事態に見舞われながらも、岩崎と今村がその遺志を継ぎ、同年に池袋から吉祥寺へと校舎を移転し、翌1925年(大正14年)には、イギリスのパブリックスクールに範を取った「7年制高等学校」が創設され、小学校を含めた「13年一貫教育」の体制が整えられました。

当時の「成蹊学園」の教育方針は、「人格教育」「体験重視」「科学の尊重」「国際性の涵養」など、いまの成蹊教育にそのままつながるものでした。

「個性と自由を大切にする」16年間の一貫教育体制

昭和に入ると、学校教育の現場でも年ごとに戦時色が強まっていく中で、1936年(昭和11年)には、創立者中村春二の13回忌を期し、学園卒業生が団結して統一の同窓会「成蹊会」を結成し、その最初の事業として「中村の胸像」の建立され、現在も学園本館西側のヒマラヤ杉の下で毎日学生たちを温かく見守っています。

第二次世界大戦後、「6・3・3・4制」の新学制が実施され、新制「成蹊中学校」、「成蹊高等学校」が誕生し、1949年(昭和24年)には「成蹊大学」が創設され、ここに「小・中・高・大という16年間の一貫教育体制」が整うことになりました。

こうして、中村、岩崎、今村の三人が蒔いた種が「成蹊学園」という大きな樹木に成長し、今日へと続いています。

「個性と自由を大切にする」気風は、小・中・高・大を通じてこれからも受け継がれ、「自主性・創造性を育み、人格を磨き上げること」「これからの社会に欠かせない国際化・情報化に対応する能力を育てること」「自ら課題を発見し、解決できる人材の育成」という教育目標を実現するための新たな歴史が、これからも吉祥寺の地で紡ぎあげられていくことでしょう。

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中村 春二
中村春二1877年(明治10年)3月31日生~1924年(大正13年)2月21日没
東京帝大文科大学国文科卒業後、経歴曹洞宗付属中学林、同第一中学林、東京城西実務学校、東京麴町女学校で国文学を講じる。
1906年(明治39年)「成蹊園」を創設し、1912年(明治45年)年「成蹊実務学校」設立、続いて中学校、小学校、実業専門学校、女学校を開校した。
著書に「教育一夕話」「導く人の為めに」「かながきのすすめ」、「中村春二選集」などがある。

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岩崎 小弥太
岩崎 小弥太1879年(明治12年)8月3日生~1945年(昭和20)年12月2日没
1906年(明治39年)、三菱合資会社(のち三菱本社)副社長となり、1916年(大正5年)伯父・弥太郎の長男久弥から社長を引き継ぎ、以後三菱の総帥として、三菱商事、三菱鉱業などを分立して、三菱財閥を近代的企業集団に育て上げた。
敗戦後の昭和20年占領軍の財閥解体に最後まで抵抗し、死の直前に社長および関係会社の一切の役員を辞任し解体を発表した。
一方、文化的事業にも貢献し、中でも成蹊学園、東京フィルハーモニー管弦楽団、静嘉堂文庫の設立は有名。

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今村 繁三

今村 繁三1877年(明治10年)生~昭和31年(1956年)4月19日没
「商界の奇傑」といわれた実業家今村清之助の次男として生まれ、1903年(明治36年)英国に留学しケンブリッチ大学トリニッチカレッジを卒業。
1908年(明治41年)学位授与、父清之助が病没し父の事業を引き継ぎ帰国、実業界に入る。
今村銀行頭取、汽車製造、日東拓殖農林、熱帯産業等の取締役、第一生命保険等の監査を務める。

成蹊学園の建学の精神|成蹊大学の歴史を徹底調査

建学の精神

教育理念

個性を持った自立的な人間の創造
・個性尊重
・人格の陶冶
・勤労の実践

教育目標

・多様性を受け入れる豊かな感性と人間性を培う
・生涯学び続けるための自力学習の基礎をかためる
・国際舞台でリーダーシップを発揮できる能力を涵養する

学園名の由来

成蹊の名は、『史記』の作者司馬遷が「李将軍列伝」において、李廣の人物を讃えるために引用したことわざ「桃李ものいはざれども、下おのづから蹊を成す」に由来しています。

現代語訳:桃や李(すもも)は、ものを言うわけではないが、美しい花を咲かせ、おいしい果実を実らせるため、自然と人が集まり、そこに蹊(こみち)ができる。

桃や李は「人徳のある人」のたとえで、「優れた人格を備えた人の周りには、その人を慕って自然と人が集まってくる」という意味です。

成蹊大学の教育の特長|成蹊大学の歴史を徹底調査

成蹊大学

成蹊教養カリキュラム

2010年度より、文理の枠を越えた幅広い教養と確かな英語力の修得を目指す、全学部共通の教養教育「成蹊教養カリキュラム」を導入。

●社会で使える英語力を身につけるため、すべての学部で英語を必修科目としており、TOEIC・TOEFL受験が必須

●社会で求められる水準の教養を身につけるため、理系・文系にかかわらず幅広い分野の知識を修得する。

●社会人として必要な他者を理解する力、自己表現力などコミュニケーションスキルを身につけるため、ゼミ形式の双方向対話型の授業を1年次の必修とする。

コア科目発展科目により、学生の興味や関心に応じて履修でき、段階的な学習が可能。

丸の内ビジネス研修(MBT)

2013年春より、3年生及び大学院1年生を対象に、ビジネスの中心地である丸の内を舞台とした産学連携によるキャリア教育プロジェクト「丸の内ビジネス研修(MBT: Marunouchi Business Training)」を実施。

協力企業は、成蹊と縁の深い三菱グループの企業が中心となっていて、業界は多岐にわたっており、金融や商社・不動産・重工業・鉄鋼・非鉄・自動車などいずれも大手企業で、三菱UFJフィナンシャル・グループや三菱商事、三菱電機、三菱地所など多数。

●自ら課題を発見し、解決できる人材の育成を目的として掲げ、半年を超える期間をかけて行う新しい形の人材育成プログラム。

●協力企業での1、2週間のインターンシップ実習や、企業担当者の指導のもと、課題に取り組み、討論や発表を行う。

成蹊大学「情報図書館」|成蹊大学の歴史を徹底調査

成蹊大学 情報図書館

成蹊大学「情報図書館」は、開架式の図書50万冊と72万冊の収蔵能力のある地下書庫を持っていて、推定蔵書数「132万冊」の武蔵野市で最も蔵書数の多い図書館です。

武蔵野地域住民(武蔵野市・三鷹市・小金井市・西東京市・杉並区・練馬区)の方で、本図書館の資料を利用し、特定の研究をする方を対象に館内閲覧サービスを提供していましたが、2021年1月現在は新型コロナウイルス感染症拡大防止のために学外利用者の利用は中止中です。

申請より1年間、図書館を継続してご利用でき、申込受付は5月と10月の年2回でした。

成蹊大学出身の著名人|成蹊大学の歴史を徹底調査

政治家
・安倍晋三 (衆議院議員、第90・96・97・98代内閣総理大臣)

文化人
・石田衣良(小説家、直木賞受賞)
・桐野夏生 (小説家、直木賞受賞)
・小池真理子(小説家、直木賞受賞)
・佐山一郎(ノンフィクション作家、コラムニスト)
・渡辺達生(写真家)

芸能人
・中井貴一(俳優)
・鶴見辰吾 (俳優)
・片桐はいり(女優)
・本多俊之(サクソフォン奏者)
・馬場康夫(「ホイチョイ・プロダクションズ」代表)
・銀河万丈(声優、ナレーター)

まとめ|成蹊大学の歴史を徹底調査

中村、岩崎、今村の三人が理想の教育環境を目指して蒔いた種は、「成蹊学園」という大きな樹木に成長し、2012年に創立から100年の時が経過しました。

「個性と自由を大切にする」気風は、小・中・高・大を通じてこれからも受け継がれ、「自主性・創造性を育み、人格を磨き上げること」「これからの社会に欠かせない国際化・情報化に対応する能力を育てること」「自ら課題を発見し、解決できる人材の育成」という教育目標を実現するための新たな歴史が、これからも吉祥寺の地で紡ぎあげられていくことでしょう。

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