過去と現在がシンクロする不思議な吉祥寺ストーリー
まさかこの俺が、またこの吉祥寺という街に舞い戻ってくる羽目になるとはな…。
俺が毎日、吉祥寺に入り浸っていたのは、もう30年以上も前、1980年代の話だ。
当時はまだ上京したてのバカな若造だった俺は、
- とりあえず、早く都会風にカッコよくなって女にもてたい!
- 遊んでいても金がもらえる楽なバイトがしたい!
というような、虫のいいことだけを考えて生きていた。
結果的には1はなかなか入手困難で終わったわけだが、2は意外にすんなりと手に入れることができた。
それが、吉祥寺レンガ館モールの地下にあったゲームセンターでのアルバイトだった。
楽して金を稼ぎたい、という動機で働き始めた人間がゲーセンという職場でやることと言えば、「仕事は適当に流して、ひたすらゲームをしまくること」しかなかった。
当時主流のゲームは、小さいテーブルにモニターが埋め込まれた、いわゆる「テレビゲーム」というものだったが、俺はそんなものには目もくれず、徹底して「ピンボー ル」の練習に打ち込んだ。
理由は、ピンボールが上手いと、女にもてそうな気がしたからだ。
このあたりにも、当時の自分の人生観が色濃くにじみ出ている。
結果、俺のピンボールプレイはどんどん上達し、俺がプレイする時は、周りにギャラリーができるほどだった。
(それで女にもてたことは一度たりともなかったが。)
当時から吉祥寺は週末ともなると結構な賑わいで、レンガ館地下のゲーセンも閉店間際になっても、なかなか客が帰ろうとしなかった。
「これじゃ、バイトが終わらんぜ…。」
そこで俺は一計を案じて、店内のBGM用のジュークボックスの中にあるレコードで、客が聞いたらきっと帰りたくなるようなやつを選んでかけてみた。
曲は(荒井だった頃の)ユーミンの「翳りゆく部屋」。
ゲーセンには不釣り合いな、教会音楽のように荘厳なこの曲がかかると、客たちは何故かそそくさと、家路につき始めるではないか!
これは今から思えば「蛍の光」に近い効果だったんだろうけど、若い俺には一種の大発見だった。
ゲーセンにとっては、客を帰してしまうような迷惑な発見だったに違いないが。
それから 年の月日が流れ去り、何の因果かはわからないが、そんなロクでもない思い出に満ち溢れたこの吉祥寺の街で、再び働くことになってしまった。
先日女房と子供を連れて、レンガ館の地下のゲーセンがあった場所に今ある「ガスト」で食事をしてみた。
昔、ピンボールコーナーがあった、店の奥の壁際をぼんやり眺めていたら、仕事もしないでピンボールに興じる、若い頃の自分の姿が、一瞬、見えたような気がした。