映画で裸になるということ
女優がヌードシーンを演じると「体当たりの演技」という言葉で語られることが多い。私はこの表現が嫌いだ。
2019年に公開され、わたしの初主演作となった映画「空の瞳とカタツムリ」で、わたしはヌードシーンと濡れ場を演じた。
オーディションの際に、監督やプロデューサーからは、スクリーンに裸をのせることに関してどう思うか聞かれた。
わたしが俳優として5年間活動してみて、この仕事は人間の「生活」や「営み」を見せることなのではないかと感じていた。
日常生活において、人はみな裸になる。それは着替えるときであったり、お風呂に入るときといった自分一人だけの場合もあれば、好きな人にだけ見せる特別な裸もある。
だから、映画の中で裸になることも、こうした人間のごく自然な営みの一部を見せるためであるから、スクリーンに自分の身体を写すことに不思議と抵抗はなかった。
ただ、誤解してほしくなかったのは、自分の身体に決して自信があるわけではなかった。実際にスクリーンで自分の裸に対峙したとき、なんて頼りない肉体なんだろうと思った。これもまた、難しいのだが、その頼りなさにコンプレックスを感じているかと言われれば、そうではない。
今でこそ、言われる機会は減ったが、「円ちゃん、もっとおっぱいがあたらな〜」とか「貧乳だよね」といった言葉を投げかけられたことがある。たしかに、わたしの胸は小さいので否定はしないが、そのことに関してわたしがコンプレックスを感じていると勝手に決めつけられるのは嫌だった。
こんなことを女優が書くべきことではないのかもしれないが(書くけど!)、以前、当時付き合っていた恋人の前で初めて裸になるときに、
「わたしの身体、見ても触ってもあんまり楽しくないかもしれない」と言ったら、「どうしてそんなこと言うんだ」と叱られたことがある。
そうか、この人はありのままのわたしを受け入れてくれているから、わたしの胸の小ささや肉体の造形がどんな形をしていようと関係ないのかと、とても嬉しく思った記憶がある。
だから、ありのままの自分をスクリーンにさらすことに対する不安は、過去のこうした経験のおかげもあって、抱かなかったのかもしれない。
映画が公開されて、観てくださった沢山のお客さまと劇場で顔を合わせた。
みんな、真摯に作品を受け止めて、感想を伝えてくれた。誰もわたしの身体や個人のセクシャリティについて意見を言ってくれる人はいなかった。
映画が好きで、まさに観る側のプロである観客の皆さんからしたら、当然なのかもしれないが、なんだかすごいことのように感じた。
そして、観てくださったお客様の中には今でもわたしのことを応援してくださっている方もいる。わたしは自分を開放して臨んだ作品で、多くの心強い味方を得たような気がした。
「空の瞳とカタツムリ」のような、身も心もすべてをさらけ出すような特別な映画に今後も出会えたら、ぜひまた挑戦していきたいと思う。
本コラム掲載写真は、同じく吉祥寺ってこんな街のメンバーである写真家・塩田倭聖くんに撮影してもらいました。
2020年5月、吉祥寺某所にて。
ハモニカ横丁ではしご酒
吉祥寺では幾度となく飲んでいるのだが、ハモニカ横丁は一度も行った事がなかった。吉祥寺の飲み屋街といえば、真っ先に名前が挙がるようなスポットであるのに、色々な店が密集しているからこそ、どこに入ればいいのか分からず、結果、いつも通りをうろうろして終わっていた。
そんな時、ハモニカ横丁経験者の男友達Sと、吉祥寺で飲むことになった。
基本的に異性とのサシ飲みは気を使ってしまい食事の味に没頭できなくなりそうだが、Sとだったら前歯に青ネギが詰まった状態で会話をしようが、にんにく大量の料理をむさぼり食べようがどう思われてもいいという、正真正銘の「男友達」だった。
とりあえず二人でハモニカ横丁を一周する。商店街の一角にぎゅっと詰め込まれた店の数々は、ドアや壁の仕切りがないため、中の様子がうかがえる。
店の外にもにわかに侵食し、床に置かれたプラスチックの椅子で飲んでいる様子は、以前旅行で訪れた台湾やベトナムの屋台街によく似ている。
Sが前に行ったことがあるという「ハモニカキッチン」のカウンターに横並びに座り、ビールと串焼きを注文する。
国産ビールのほかになぜかヒューガルデンがあり、テンションがあがる。回転効率をよくするためか、注文してすぐにビールが出てくる。お互い喉が渇いていたので、雑に乾杯をして飲み始める。うまい。
ハモニカ横丁は屋根こそあるもののほとんど屋外と言っていいような空間であるため、その熱気を感じながら飲む冷えたビールは本当においしい。
「夏の屋外で飲む冷えたビール」の対義語は「冬に暖房の効いた部屋で食べるアイス」だな、などと考えながら、運ばれてきた串焼きをかじる。
よく、数人で焼き鳥を食べる時なんかは、箸で最初に串からばらばらに外したりすることもあるが、焼き鳥は絶対に串から食べるほうが美味しいとおもう。
最後のひとかけを食べる時は、串を横に向けて肉に噛みつき、歯の力を使って串から引き抜く。そのワイルドな食べ方を気負わずにできるから、Sと焼き鳥に来て正解だった。
ほどなくしてSがトイレに立ち、わたしはカウンターで一人になった。
すると、近くで一人飲んでいた外国人男性に話しかけられた。携帯の翻訳アプリに何かを打ち込み、画面をこちらに見せてくると、そこには「あの男性は恋人ですか?」という固い日本語が表示されている。口説こうとしているのか?
笑いながら「ノー」と答えると、今度は「大学時代の友達ですか?」という文を見せられた。
そうか、この人はわたしを口説こうとしているのではなくて、横並びになり、たまに会話こそするものの、各々好き勝手に飲んでいるわたしたちの関係が、はたから見て気になっていたのだ。
そもそも、わたしたちの知り合ったいきさつを思い起こすと、同じ職場の撮影に入っていたスタッフと飲んでいたときに、その同級生として突如やってきたのがSだった。
その関係を英語で何と説明すればいいのかわからなかったから簡素に「フレンド」とだけ答えた。
学校や仕事と一切無関係で、大人になってから知り合って仲良くなり、飲みに行こうと気軽に誘いあえるのは、Sはなかなかありがたく貴重な存在だと改めて気がついた。
結局トイレに行けず戻ってきたSと会計を済ませ、店を出ようとすると先ほどの彼に呼び止められ、再び翻訳アプリの画面を見せられる。
「もう帰るのですか?それは男がわたしのことをあまりよく思っていないからなのでしょうか?」
わたしは笑って「ノーノー。トゥデイ イズ はしご酒」と返事をして、まるでハモニカ横丁の常連であるかのようにあっさりと一軒目をあとにした。
中神円
1993年(平5)7月30日、東京生まれ。スカウトを受けて芸能界入り。
15年にTBS系「ホテルコンシェルジュ」、17年にテレビ朝日系「ドクターX~外科医・大門未知子~」に出演。
脚本や監督も務める。2020年12月、芥川賞受賞作家羽田圭介と結婚。
空と瞳とカタツムリ
雌雄同体のカタツムリのように男でも女でもない心を持てあましながら絡みあう4人の男女を描いたドラマ。故・相米慎二監督が遺した映画タイトル案から着想し、書き上げた荒井美早のオリジナル脚本を、「なにもこわいことはない」「いたいふたり」の齋藤久志監督のメガホンで映画化