自然公園や動物園を内包し、生活圏と繁華街が一体となり、都心と都下の境目という立地条件も魅力な吉祥寺。
多様な景色を内包する吉祥寺という街は、幾度となく小説の舞台になってきました。
吉祥寺をメインの舞台とした小説の中でも、認知度・クオリティ共に文句なしの作品といえば、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さんのデビュー作『火花』でしょう。
努力型の弟子・徳永と、天才肌の師匠・神谷。
実際に下積み時代の殆どを吉祥寺で過ごした又吉直樹さんの筆によって紡がれる、2人のお笑い芸人が織り成す笑いあり涙ありの青春ストーリーは、今も圧倒的リアリティをもって吉祥寺という舞台と溶け合い、多くの人の心を掴んで離しません。
今回は、そんな代表作『火花』で知られる又吉さんと吉祥寺との関わりを、『火花』は勿論、下積み時代の思い出の地として今も吉祥寺を大切に思っている又吉さんのインタビュー等も参考にしながらまとめてみました。
【又吉さんと吉祥寺①】又吉さんが最初に住んだアパートは昔、文豪の旧家だった
大阪から上京して最初に住んだ三鷹のアパートは、太宰治が暮らした家の敷地跡に建った建物だそうです。中学の頃から夢中で読んだ作家ですから、小説に「三鷹」って地名が出てきたなくらいの知識はあったけど、住所までは知りません。住み始めて、地図片手に太宰のお墓とか足跡をたどっている時、図書館で調べたら、「あ、家、ここやったんや」と。もう15年くらい前の、ウソみたいな話ですけど。
―朝日新聞「TOKYO風景:2 残酷で、まれに優しい街 又吉直樹さん」より
又吉さんは、お笑いコンビとしての活動やタレントとしての活動で名を上げてきたいわゆる「芸能人」「芸人」にカテゴライズされる人ではありますが、既に多くの方がご存知の通り、芥川賞作家としての顔も持っています。
特にデビュー作にして芥川賞受賞作となった『火花』では、吉祥寺を全面的に舞台にしたことで映像化作品も含め大きな話題となり、吉祥寺という地の再評価に大きく寄与したといってもいいでしょう。
又吉さんは昔から読書が好きで、そうしたイメージから「本好きのタレントが小説家としてデビューする」ことに対して違和感がなかった人も多いのではないでしょうか。
又吉さんは実は小説を上梓する前から、そもそも芸人として売れる前から「新潮」や「すばる」等の文芸雑誌でエッセイなどをよく書いていらしたので、実は芸人・タレントとして売れたことよりも文壇のデビューのほうがむしろ早かったのです。
このように、又吉さんは文壇への縁がもともと深かったのですが、そもそも最初から文学と関わる運命であったともいえる、文学とのただならぬ縁を感じるエピソードがあります。
それが、又吉さんが大阪・寝屋川から上京して初めて住んだ、吉祥寺周辺のアパートの話です。
又吉さんが最初に住んだのは三鷹市下連雀の築60年を超える風呂なしアパートだったそうですが、これがなんと、又吉さんが最も好きな作家である太宰治の旧家の敷地跡に建てられたものだったというのです。
又吉さんはたまたま渋谷の不動産屋さんでこの物件を見つけたので最初はその事実を知らなかったようですが、過去に読んだ「太宰治の家から吉祥寺への行き方」が一緒であったことから、三鷹の図書館で調べて驚きの事実を知ることとなりました。
三鷹市下連雀といえば日本を代表する文豪・太宰治が最後に住んだ場所であり、愛人と入水自殺を図った場所でもあります。
その太宰治は、名作『ヴィヨンの妻』や『黄村先生言行録』などで吉祥寺を舞台としており、吉祥寺~三鷹地域に縁の深い文豪として最も著名な人物ですから、「太宰治ナイト」などのイベントを開催するほどの太宰治ファンである又吉さんからしたらたまらない事実でしょう。
そして、その又吉さんがのちに小説デビュー作『火花』で吉祥寺を舞台にするのも、何か運命づけられたもののように感じられてなりません。
又吉さんが住んだアパート兼太宰治旧居跡は、地域的には吉祥寺通り(公園通り)の丁度「三鷹の森ジブリ美術館」のあたりから数本西に位置する、閑静な住宅街の中の道路沿いにあります。
なお、旧居跡が面する細い路地は私道で、無関係の人が中に入るのは禁止となっていますので注意してください。
そして、太宰治旧居跡の周辺には「太宰治文学サロン」をはじめ、太宰治の旧下宿跡や太宰治の墓(禅林寺)、太宰治の入水場所を示す「玉鹿石」、太宰が友人を案内した中央線にかかる陸橋など、太宰治ゆかりのスポットが沢山あります。
太宰ファンは勿論、又吉さんのファンも一度訪ねてみてはいかがでしょうか。
- スポット名:太宰治旧居跡
- 住所:〒181-0013 東京都三鷹市下連雀2丁目14−9
【又吉さんと吉祥寺②】又吉さんも足繫く通った「井の頭公園(七井橋通り)」
公園に続く階段を降りていくと、色づいた草木の間を通り抜けた風が頬を撫で、後方へと流れていった。
―又吉直樹『火花』より
吉祥寺でもメインの観光地として名高い井の頭公園(井の頭恩賜公園)や、駅から井の頭公園の入り口へ続く七井橋通りは、又吉さんのデビュー作『火花』でもたびたび舞台となっている場所です。
又吉さんは前述の風呂なしアパートに住んでいたころ、夏は猛暑冬は極寒という地獄のような環境だったそうで、特に夏は暑すぎてなかなか寝付けず、よく井の頭公園に涼みに出ていたそうです。
七井橋通りは特に『火花』でも印象的なお店がある場所であると同時に、井の頭公園への「参道」として人気のスポットです。
どこかのんびりとしていて、気を抜けるゆったりとした時間が流れながらも、南国の雑貨や民族衣装を販売する店や、本格ドイツソーセージを販売する店、アメカジをメインとする古着屋など色々な価値観が集まりながらも違和感なく溶け合っています。
吉祥寺駅南口からも徒歩2分程度とアクセスのいい七井橋通り沿いには、小説の中で徳永と神谷が雨宿りするために立ち寄った「武蔵野珈琲店」や、徳永と神谷がテイクアウトして井の頭公園で食べるシューマイを売っている「いせや 公園店」など吉祥寺でも名の知れた老舗飲食店があります。
武蔵野珈琲店は、1982年から営業を続ける息の長い喫茶店で、七井橋通りに口を開けている階段を上ると、古着屋「AMBER LION」の隣にあります。
又吉さん本人もよく通った武蔵野珈琲店は「ゆっくりとした時間が流れとても落ち着ける空間」と又吉さんも太鼓判。
七井橋通りの奥、井の頭公園へ続く階段の目の前というとても良い立地に昔からある「いせや 公園店」は、総本店も含めると創業90余年にもなるという吉祥寺屈指の老舗といって差し支えない焼き鳥店です。
- スポット名:武蔵野珈琲店
- 住所:〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1丁目16−11 荻上ビル
- スポット名:いせや 公園店
- 住所:〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1丁目15
【又吉さんと吉祥寺③】又吉さんが“惑星横丁”と呼んだ「ハーモニカ横丁」
アパートから外に出ると凍えるほど寒くて、街が膨張しているような感覚に陥り、歩いても歩いてもハーモニカ横丁に辿り着けなかった。宇宙に放り出されたら、こんな気持ちになるのかもしれない。
―朝日新聞「又吉直樹のいつか見る風景」より
『火花』でもとりわけ印象的であり、又吉さんも特に寒い冬の夜などによく飲みに行っていたという、戦後闇市の混沌を今に残す飲み屋街「ハーモニカ横丁」もまた又吉さんと吉祥寺の強い結びつきを象徴する場所です。
今でも、夜遅くにハーモニカ横丁へふらっと立ち寄ると、煌々と明かりが灯り、入り口には提灯が沢山ぶら下がっている一角があって、そこはまるで台湾の九扮のような幻想的な空間のように思えてくるものです。
又吉さんはインタビューでその横丁の輝きを「惑星」にたとえていて、惑星の重力に引っ張られるように飲み屋の席に腰かけてお酒を飲んでしまうといいます。
実際に行ってみるとわかりますが、ハーモニカ横丁は漫画を描いている人やバンドをやっている人といった夢追い人から、はたまた普通に仕事をしている人、人に言うのが憚られる「仕事」をしている人まで、色々な人たちが集まり、同じ横丁で同じ酒を囲んでいます。
そうした境遇も年齢もこれまでの経歴も全く異なる多種多様な人間模様が交差する「惑星」の中でも、ひときわ又吉さんを引っ張ったのが「美舟」という飲み屋さんで、これまた老舗の飲食店です。
数え切れないほどのメニューが壁一面を覆いつくさんばかりに貼られている中で、『火花』劇中にも登場する「肉芽」と呼ばれる豚肉とニンニクの芽の炒め物がひときわ人気となっています。
- スポット名:美舟(みふね)
- 住所:〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町1丁目1−2
【又吉さんと吉祥寺④】又吉さんが「シャウト!」したライブハウス「吉祥寺曼荼羅」
その残酷な言葉に僕は思わず叫びそうになった。表情を変えずに奥歯を噛んだ。奥歯を砕いてしまいたかった。ビールはこんな味だっただろうか。
―又吉直樹『火花』より
最後に、今の又吉さんからは考えられない印象的なエピソードを紹介しましょう。
又吉さんが今ほど売れていなかった頃、2009年の11月。
同じく吉祥寺在住の芸人として有名な、コンビ「ハリセンボン」で活動する箕輪はるかさんと一緒に、「シャウト!」という、又吉さんや箕輪はるかさんからは似合わない字面が題名としてつけられたトークライブを行ったことはご存知でしょうか。
会場は100人も入れば一杯になりそうな狭いライブハウス「吉祥寺曼荼羅(まんだら)」。
実はこのライブハウス、東京では最古、日本では2番目に古いライブハウスで、現在(2021年8月)もなおコロナ禍の逆境に立たされながらも営業を続けてらっしゃいます。
看板メニューは伝統の「曼荼羅カレー」で、ライブやイベントの最中にも容赦なくカレーの匂いを漂わせ、食欲をそそります。
実はカレーマニアでもある筆者も太鼓判を押す、カレー激戦区吉祥寺の中でも指折りの美味しいカレーです。
さて、カレーの話は置いておいて、当時「死神芸人」などと報道された又吉さんと箕輪はるかさんによるトークライブですが、最後にお二人が絶対に言わなそうなことをイベントタイトル通り「シャウト!」する、という企画がありました。
そこで箕輪はるかさんは「二次会行く人ー?!」、又吉さんは「Here we go!!」と確かにお二人が叫ばなそうなことを叫び、会場中の笑いを一瞬でかっさらっていったそうです。
それこそ当時「死神芸人」などと失礼なあだ名で呼ばれていたお二人のイメージをひっくり返す見事な「シャウト!」であったことは間違いないでしょう。
さて、なぜこのエピソードをわざわざ書いたのかというと、表現の癖なのか、又吉さんの『火花』文中に、先ほど引用した「僕は思わず叫びそうになった」という文言が何度も登場するからです。
これはこじつけですが、もしかしたら又吉さんは、普段物静かなようで実は、日々不満などを叫び出したい気持ちを必死で押し殺しているのかもしれません。
- スポット名:吉祥寺曼荼羅
- 住所:〒180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-5-2
『火花』の聖地をはじめ、又吉さんゆかりの場所に行ってみよう!
吉祥寺は魅力的な街だ。デパートや飲食店が立ち並ぶエリアのすぐ近くに井の頭公園があって、街と自然が共存している。普段から学生が沢山いて、休日には家族連れや若者で溢れかえる。流行に敏感な店も多いし、この地に根を張った実力派の喫茶店や書店もある。
―朝日新聞「又吉直樹のいつか見る風景」より
又吉さん本人は、吉祥寺についてこのように述べていらっしゃいます。
上京して最初に住んだのも吉祥寺近辺であり、井の頭公園の近くであったこともあって、苦しい下積み時代の殆どを過ごした場所として非常に印象深いというのもあるのでしょう。
吉祥寺は魅力的な街である、ということ自体は多くの人が同様のことを述べているはずですが、長年住んだ又吉さんが述べると、非常に重みをもって感じられます。
そして、又吉さんはこうもおっしゃっています。
多くの人の幸福を体現する街は素敵だし必要だが、それが誰にとっても住みやすい街であるはずがない。だからといって居心地の良さが必ずしも優しさでもない。吉祥寺は社会と自分との距離を正確に教えてくれる厳しさと優しさがあった。その風景は自著『火花』に色濃く反映されている。
―朝日新聞「又吉直樹のいつか見る風景」より
吉祥寺から「厳しさと優しさ」を教えられたという又吉さんだからこそ、『火花』の舞台に吉祥寺を選んだのでしょうし、吉祥寺をあのように印象的かつ躍動感たっぷりに描いてくれたのでしょう。
吉祥寺近辺に住んで15年になる筆者から見ても、この又吉さんの表現には思わずハッとさせられましたし、これほど的確に吉祥寺を表した言葉はないのではないかと、そんなことを思わずにはいられません。
又吉さんが親しみ愛した街・吉祥寺に、皆さんもぜひ訪れてみてくださいね。