[「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(井の頭公園編)][「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(公園口編)][「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(ダイヤ街編)]に続く「吉祥寺かるた」の体験記事として、今回は【北口編】をお届けいたします。
『吉祥寺のメインストリート』とも呼ばれるサンロード商店街や、駅前のはな子像、駅ビル商業施設のアトレ(旧「ロンロン」)、さらに吉祥寺の象徴ともいえる「ハモニカ横丁」を訪問してレポートいたします。
「さ」サンロード 猛ダッシュしたら60秒|「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(北口編)
《サンロード商店街》
駅前のアーケード商店街「サンロード」は約170もの店が連なり、散策するといつのまにか時間が経ってしまっている。
しかし実は猛ダッシュすれば60秒の、全長300メートルの距離なのだ。
吉祥寺駅北口のロータリーから、途中に本町新道を挟んで五日市街道にまで至る約300mの商店街「サンロード」。
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『吉祥寺のメインストリート』とも呼ばれるこのアーケード式の商店街は、「吉祥寺大通り」ができるまではバスも通る「吉祥寺駅北ロ商店街」だったので、朝の通勤時などは人があふれてバスの通行にも不自由している状態だったそうです。
そのため、武蔵野市議会や武蔵野市長によって「吉祥寺駅周辺都市計画道路」が計画・実施され、1971年(昭和46年)に新たなバス通りとして「吉祥寺大通り(五日市街道から末広通りまでの区間)」が開通。
この「吉祥寺大通り」ができたおかげで「吉祥寺駅北ロ商店街」がアーケード化されて、歩行者が安全・快適にショッピングを楽しめる今日の「吉祥寺サンロード商店街」が誕生しました。
「サンロード」は、井の頭公園と並んでドラマや映画のロケ地としても使われることが多く、古くは1970年代の吉祥寺が舞台となった青春ドラマ「俺たちの旅」や、学園ドラマ「GTO」の2012年のAKIRA版などの数多くのシーンの舞台となっています。
「吉祥寺かるた」に書かれているように、駅前の入り口から五日市街道までの約300mを本当に「60秒」で通り抜けられるかどうかは、本町新道の信号に引っ掛かるかどうかにかかっていそうです。
実際に試してみたい方は、通行者が多い昼間は避けてくださいね。
「そ」ぞうの ぞうが あるぞう|「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(北口編)
《駅前のはな子像)》
戦後日本の子どもたちを慰めるためにタイからやってきたゾウのはな子。
井の頭自然文化園のシンボルとして長年愛されたが、2016年に他界。
現在は駅前ロータリーの銅像となって街を見守っている。
「井の頭自然文化園」で飼育されていたメスのアジアゾウ「はな子」は、1947年(昭和22年)にタイで生まれ、戦後はじめて来日したゾウです。
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1949年(昭和24年)に「上野動物園」に贈られ、1950年(昭和25年)に始まった上野動物園の「移動動物園」という企画で全国や東京都下を巡回し、「井の頭自然文化園」を3年連続で訪れました。
その後、武蔵野市や三鷹市で「はな子」の誘致運動が起こり、1954年(昭和29年)に「上野動物園」から「井の頭自然文化園」に引っ越しました。
2013年(平成15年)には日本で飼育されたゾウの長寿記録を更新し、2004年(平成16年)に「来園50周年」を迎えましたが、2016年(平成28年)5月26日、69年に及ぶ生涯を閉じました。
「はな子」が亡くなってすぐに、子どものころから「はな子」を慕っていた地域の方々や武蔵野市によって[吉祥寺「はな子」像設置実行委員会]が結成されました。
ここには、武蔵野市や近隣の方々だけにとどまらず日本全国から募金が寄せられ、2017年(平成29年)5月5日、吉祥寺駅前北口広場に「はな子」の銅像が完成し、除幕式が行われました。
原型を制作した美術家の笛田亜希氏は武蔵野市生まれで、幼い頃から井の頭公園や文化園に通い「物心つく前から、身近なところにはな子がいた」という方です。
「造るならば、はな子が元気な頃のこのポーズと決めていた」という、片足を上げている「あいさつをする時のポーズ」に決めて、少しでも実際の「はな子」に近づけたいと修正作業を繰り返したということです。
「ろ」ロンロンじゃないよ、アトレだよ、母さん|「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(北口編)
《ロンロン(旧駅ビル)》
JRの駅ビルアトレは、昔「ロンロン」という屋号だった。
線路の下の長ーい敷地の形状から LONGLONG=ロンロンとなったらしい。
今もアトレ内に「ロンロン市場」とその名を残す、愛された駅ビルであった。
1969年(昭和44年)、初代の駅ビル商業施設として「吉祥寺ロンロン」が、駅西側の高架下に開業しました。
開業当時には178店舗が入り、初日は1日に25万人が訪れたそうです。
その後1989年(平成元年)に「ロンロンがリニューアルオープンされましたが、2007年(平成19年)には日本旅客鉄道(JR東日本)グループの駅ビル運営会社であるにより吸収合併され、吉祥寺駅の改良工事を受けて改装を実施することになり、2010年(平成22年)から「アトレ吉祥寺」として生まれ変わりました。
「アトレ」の名称は、「魅力」を意味するフランス語「attrait」に由来するそうです。
「アトレ吉祥寺」は、コンセプトを『私のいつもを満たす場所』としていて、吉祥寺随一の品ぞろえを誇る食料品、毎日を彩るファッションや雑貨、書店、CDショップなどの文化雑貨、レストラン・カフェ、サービスなど、約220ショップが軒を連ねています。
「け」けっきょく ハモニカなの? ハーモニカなの?|「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(北口編)
《ハモ二力横丁の看板》
細い路地に約100軒もの飲食店や商店が密集する名物エリア「ハモニカ横丁」。
しかし、その入口の看板をよく見ると、「ハモニカ」と「ハーモニカ」の記述が混在している。
結局どっちなんだ?
吉祥寺駅北口駅前にある「ハモ二力横丁」には、混沌とした細い路地の中に、商店、飲食店など100軒近くの店舗が並んでいます。
「ハモニカ横丁」のルーツは、第二次世界大戦後の1940年代後期、荒廃した吉祥寺駅前にできた「闇市」でした。
その後、戦後の復興ととも吉祥寺の街全体が近代化されていく中で、駅前広場のために闇市起源の商店街が整理されるなどして「トリミング」されていき、入り組んだ細い路地の中に小ぢんまりとした商店が混沌と立ち並ぶ様が「古き良き昭和の面影を残している」と愛されている「ハモニカ横丁」として残りました。
2000年代に入り「ハモニカキッチン」をはじめとするモダンな飲食店が相次いでオープンし、レトロな佇まいを残す横丁にモダンなデザインのカフェやバーが登場し、新旧が一体となった新感覚の空間へと進化して「吉祥寺を象徴するスポット」のひとつとなっています。
「ハモニカ横丁」は、東側から「仲見世通り」「中央通り」「朝日通り」「のれん小路」「祥和会通り」の5つの通りで構成されています。
「ハモニカ横丁」という名称の由来は、武蔵野市に在住していた作家の亀井勝一郎が、100件ほどの小さな店舗が立ち並ぶ様を「楽器の『ハモニカの吹き口』に例えた」ことからといわれています。
「吉祥寺かるた」がとりあげた表記については、現地でも『ハモニカ横丁』と『ハーモニカ横丁』が混在しているようです。
まとめ|「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(北口編)
今回は、「吉祥寺かるた」の【北口編】をご紹介しましたが、『吉祥寺のメインストリート』とも呼ばれるサンロード商店街やハモニカ横丁など、まさに吉祥寺を代表するスポットを訪れてきました。
駅前のはな子像も、吉祥寺の歴史を考える上では外せない、井の頭文化園の象徴ともいえる銅像でした。
吉祥寺愛に溢れた「吉祥寺かるた」については、[「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(井の頭公園編)][「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(公園口編)][「吉祥寺かるた」を実際に体験してみた(ダイヤ街編)]でも実体験をレポートしていますので、併せてご覧ください。
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