吉祥寺の歴史

井の頭公園の歴史を江戸時代から詳しく解説!

吉祥寺解説員
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「地元のお店を再発見」をテーマにしたフリーマガジン『吉祥寺時間』です。

この記事では、井の頭公園の歴史をご紹介します。

「吉祥寺」に来る方の「憩いの場」として愛されている「井の頭公園」は、1917年(大正6年)に日本で最初の「郊外公園」として開園し、2017年に「開園100周年」を迎えました。

公園の様々な魅力や注目スポットは、本サイトの[井の頭公園の魅力]で紹介済みですが、今回は同記事ではあまり詳しくご紹介できなかった井の頭公園の歴史についてご紹介していきます。

井の頭公園の誕生に新一万円札の肖像の人物が関わっていたり、漫画界の巨匠が少年時代に訪れていた博物館があったりなど、驚きの新事実も判明しましたので、ぜひ最後までご覧ください。

「名所江戸百景」にも描かれた景勝地|井の頭公園の歴史

歌川広重「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」

歌川広重「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」

井の頭公園の武蔵野市側にある「御殿山遺跡」からは縄文時代の竪穴式住居遺跡や、旧石器時代の石器や敷石住居も出土していて、「井の頭池」が古くから人間の生活に不可欠な水源となってきたことが窺えます。

「井の頭池」の西端にある「井の頭弁財天」の起源は、伝承によれば、平安時代中期に六孫王経基が最澄(伝教大師)作の弁財天女像を安置するため、この地に建てた堂であるとされています。

江戸時代になって徳川家康が江戸に幕府を開いた際に、上水道の整備のために選んだ水源地が「井の頭池」で、整備された日本で最初の上水路が神田川に流れ、現在にも続いてます。

「井の頭」という名称は、一説には家光によってこの神田上水の水源が「井之頭」と名づけられたものと伝えられ、自ら小刀で弁財天の傍らのこぶしの木にその名を刻んだとも伝えられています。

江戸の人々の飲み水・生活用水として欠かせない水と、水に深くかかわりのある弁天様は、江戸の人々から篤く信仰されていました。

有名な景勝地でもあった「井の頭池」は、歌川広重が描いた「名所江戸百景」では、119枚ある中のほとんどが23区内である中、多摩地域で唯一描かれています。

渋沢栄一がきっかけで恩賜公園に|井の頭公園の歴史

井の頭恩賜公園

明治時代に入ると「帝室御料林」となりますが、東京市が「井之頭公園設置計画書」を策定し、1913年(大正2年)に東京市に「帝室御料地」が下賜されました。

そして、井之頭公園開設工事が始まり、1917年(大正6年)5月1日、日本で最初の恩賜公園、最初の郊外公園として井之頭恩賜公園が開園しました。

「井の頭池一帯を公園にする」という考えは1909年(明治42年)ころから構想されていたそうです。

当時、池の近くには「井之頭学校」という非行少年更生施設があり、同校の校長をしていた渋沢栄一が、東京市職員だった井下清に学校の庭造りを依頼したことがきっかけでした。

公園構想の流れをより強く押し進めるため、当時の東京市長や宮内省、東京市議会などに働きかけ、1913年(大正2年)に公園を設置する議決が可決したそうです。

開園当時はまだ「七井橋」は存在せず、池を行き来する際には渡し船を使用していたそうで、遠足などで大人気だったとのこと。

翌年1922年(大正11年)に「七井橋」が完成し、池の行き来がとても便利になりました。

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渋沢栄一
幕末期から昭和初期までの長きにわたり活躍した「日本資本主義の父」と呼ばれ、民間実業家として約500の会社を設立した実業家。2024年度より新一万円札に肖像が採用されることになった。

動物園ができ「はな子」がやって来た|井の頭公園の歴史

井の頭自然文化園

現在はスワンボートが有名なボート場ですが、1929年(昭和4年)に最初は手漕ぎボートのみから始まりました。

開園後すぐの1921年(大正10年)に天然プールができ、1933年(昭和8年)には本格的なプールが誕生したのですが、現在は埋め立てられて日本庭園や児童公園になっています。

1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)までの間には、弁天池のあたりを遊覧するためにモーターボートが運行していたそうです。

1942年(昭和17年)に「井の頭自然文化園」が開園しましたが、戦時中のため鉄柵が作れず、移転した井之頭学校の廃材(木材)を使用したそうです。

また、戦時中だったため産業動物園(食用の動物を飼育)として本来の目的からは大きく変わっての運用となり、1943年(昭和18年)には当時飼育されていた動物の中の猛獣が処分の対象となり、毒殺されるという悲しい歴史もありました。

また、1940年(昭和15年)に開催予定だった幻の「東京オリンピック」に際しては、井の頭公園が選手村の候補地となっていたそうです。

当時の新聞には「渋谷までの道路を舗装すれば、競技場まで達することができる」と書かれているそうですが1937年(昭和12年)の盧溝橋事件から始まる日中戦争の影響で開催辞退となってしまいました。

1954年(昭和29年)には、象の「はな子」が上野動物園から井の頭自然文化園に引っ越してきました。

2013年(平成15年)には日本で飼育されたゾウの長寿記録を更新し、2004年(平成16年)に「来園50周年」を迎えましたが、2016年(平成28年)5月26日、69年に及ぶ生涯を閉じました。

「はな子」については、別の記事で詳しく触れたいと思います。

井の頭弁財天|井の頭公園の歴史

井の頭弁財天

井の頭弁財天は、平安時代の天慶年間(938年~947年)に源経基が創建し、1197年(建久8年)に源頼朝が再建したと伝えられる由緒ある弁天様です。

1333年(元弘3年)に新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失しましたが、江戸時代に入り3代将軍徳川家光によって再興されました。

1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受けましたが、昭和初期に現在の堂舎が再建されています。

七福神の絵で見る弁天様は琵琶を持った2本の手の女性ですが、井の頭弁財天のご本尊は8本の手を持った八臂像で、大変優しいお顔をした美しい姿をされていて、秘仏であるため普段は公開されていませんが、12年に一度、巳年(次は2025年)にご開帳されてお参りすることができます。

弁天様は、とても多くのご利益があることで知られていて、有名なご利益だけでも「金運・財運開運」「技芸上達(芸能・音楽等の芸事のご利益)」「縁結び・恋愛成就(縁切り)」「学業成」「立身出世」「勝運・武運長久」「国家鎮護」等々多くのご利益があるとされ、今日まで多くの方からの信仰を集めています。

井の頭自然文化園|井の頭公園の歴史

井の頭自然文化園

井の頭自然文化園

井の頭自然文化園の敷地面積は、井の頭公園のほぼ3分の1にあたり、動物園や資料館、彫刻館のある「動物園(本園)」と、水生物館や水鳥の展示がある「水生物園(分園)」に分かれていて、合わせて170種を超える動物を飼育しています。

井の頭自然文化園は、1942年(昭和17年)に「行楽の間に自然科学の知識普及の向上に寄与する」という目的のため開設されました。

園内には、動物園のほか、彫刻館、資料館などが併設され、その名称のとおり、自然と文化が調和した施設となっています。

2011年(平成23年)には、さまざまな野生の生き物が集まるしかけを施した「いきもの広場」を公開し、より一層、生き物を身近に感じられるような取り組みを実施するなど、環境教育の充実にも力を入れています。

長く子供たちに愛されていた象の「はな子」は、ここ井の頭自然文化園で飼育されていました。

平山博物館|井の頭公園の歴史

平山博物館

今回、改めて「井の頭公園の歴史」を調べていく中で、今まで知らなかった歴史的スポットの存在を知りました。

井の頭公園内にかつて、昆虫学者の平山修次郎氏が開いた「平山博物館」という私設の昆虫博物館があったのです。

昆虫愛好家には大きな影響力を持っていた平山氏が創り出す昆虫標本は、当時の同業者の目から見ても極めて優れたものだったそうです。

同館は1930年(昭和5年)に開館し、残念ながら1955年(昭和30年)年頃に閉館してしまったそうですが、関西からわざわざここを訪れた少年がいました。

その少年は、小学生の時にクラスメートから見せられた『原色千種昆虫図譜』という虫の図鑑をきっかけに、昆虫採集や昆虫描写に興味を抱くこととなり、図鑑の著者である平山氏が館長を務める「平山博物館」を訪れるまでに心酔しました。

漫画家を目指していた少年は『原色千種昆虫図譜』で「オサムシ」という虫を知り、その日からペンネームを、本名の「治」に「虫」を付けた手塚治虫に変えました。「鉄腕アトム」や「火の鳥」、「ブラックジャック」の生みの親ですね。

まとめ|井の頭公園の歴史

井の頭公園の歴史をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

新一万円札や大河ドラマの主役に取り上げられる渋沢栄一が、公園が誕生するきっかけを作っていたとは知りませんでした。

手塚治虫氏のペンネームの由来は有名な話ですが、その図鑑の著者の博物館が井の頭公園にあったんですね。

訪れる機会も多い井の頭公園に、まだ知らなかったエピソードがあったことに驚いています。

吉祥寺だけでなく全国の子供たちに愛された象の「はな子」についても、あらためて調べてみようと思いますので、「はな子の一生」のレポートにもご期待ください。

住所(公園案内所)
武蔵野市御殿山1-18-31
電話番号(公園案内所)0422-47-6900
開園年月日1917年(大正6年)5月1日
総面積428,389.99㎡
樹木約20,000本
主な植物 サクラ、ラクウショウ、ヒトツバダゴ、ヒノキ、イヌシデ、モミジ
アクセスJR中央線・京王井の頭線「吉祥寺」駅下車 徒歩5分
京王井の頭線「井の頭公園」駅下車 徒歩1分

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