武蔵野市の吉祥寺には「吉祥寺」という寺院は存在しませんが、街の中心部に寺院が集中しているエリアがあります。
五日市街道沿いに2軒(安養寺・光専寺)、吉祥寺通り沿いに1軒(蓮乗寺)、そして本町新道沿いに1軒(月窓寺)、この4軒の寺院が隣り合って寄り集まるように建っていることから、吉祥寺ではこれらのお寺を「四軒寺(しけんでら)」と呼ばれ、崇敬を集めています。
そうした四軒寺の内最も北側に位置するのが「安養寺」です。
安養寺は、他の3つの寺と違い、唯一五日市街道を挟んで反対側、武蔵野八幡宮の隣にひっそりと位置していますが、実は吉祥寺の中でも存在感を秘めている寺院で、見所が沢山あります。
今回は、この「安養寺」に実際に訪れたうえで、寺院までの行き方、見所や楽しみ方、歴史などを解説していきます。
武蔵野吉祥七福神の1つ
安養寺は、正式名称を「岸養山吉祥院安養寺(がんこうざん・きっしょういん・あんようじ)」といい、不動明王を本尊としている真言宗豊山派の密教寺院です。
1934年の弘法大師御入定1,100年を記念し、1936年に金剛寺大僧正が多摩地域の真言宗寺院を取りまとめて霊場とした「多摩四国八十八ヶ所」の札所第一番の寺院として知られています。
また、武蔵野吉祥七福神の1つであり、布袋尊(ほていそん)も祀られています。
真言宗の密教寺院ではこのように代表的な存在でありながら、非常に存在感が薄く、武蔵野八幡宮の隣に位置しているにもかかわらず、武蔵野八幡宮を目指して向かうとどこにあるのか見当がつかないくらい、山門はひっそりとした場所にあります。
山門は赤く目立つのですが、山門は五日市街道から少し奥まった場所にあり、多摩四国八十八ヶ所札所第一番を示す看板も小さく目立たないため、四軒寺の中では最もわかりづらい場所にあるといっても過言ではありません。
安養寺への行き方
行き方を最初に説明しておきましょう。
吉祥寺駅中央改札を出たら北側の出口に向かい、西側の階段を降ります。
北口のロータリーに出たら真正面に見える吉祥寺サンロード商店街をまっすぐ進み、五日市街道まで出ます。
五日市街道にぶつかったら横断歩道を渡り、街道沿いの歩道を左折。
消防署が見えたらその隣に、まるで一里塚のようなさりげなさで、2本の細い石の柱が門を形成している場所があります。
あまりにもさりげないので気づかない方も多いようですが、そこを入りましょう。
庚申塔と赤い山門が見えたらそこが「安養寺」です。
安養寺は、吉祥寺を代表する4つの寺院「四軒寺」の1つ
吉祥寺は、「寺」のつく地名でありながら、綺麗にロータリーが整備された駅前の風景からは、あまり寺町といった感じはありませんよね。
しかし、駅前から少し北に歩けば、途端に寺院の本殿があちこちに見える場所に辿り着きます。ヨドバシカメラまで続く本町新道沿いの北側に1軒、吉祥寺通り沿いの東側に1軒、五日市街道沿いの南側と北側に2軒、合計4軒のお寺が隣り合うようにして建てられており、これらの寺院の通称を「四軒寺」といいます。
四軒寺の1つである「月窓寺」は本町新道沿いから、「蓮乗寺」は吉祥寺通り沿いから、「安養寺」と「光専寺」は五日市街道沿いからそれぞれ境内に入ることができますが、安養寺だけは、五日市街道よりも北に位置します。
それが関係しているのかは不明ですが、四軒寺の中でも普通の寺院とは違った近代的な本堂で、よくイメージする「お寺さん」とは雰囲気が大きく異なっています。
門前の庚申供養塔(こうしんくようとう)は市の有形文化財
安養寺の開山は寛文8年、賢乗による創建と伝えられており、本尊は不動明王です。
元々不動明王というのはインド神話のシヴァ神の別名で、安養寺も属する真言宗を開いた空海(弘法大師)が日本に持ち込んだといわれる守護神です。
日本では大日如来の化身として扱われるようになり、「お不動さん」と呼ばれ、五色不動・三不動など有名なお不動さんを中心に日本全国色々な寺院で祀られています。
不動明王は、密教(空海が高野山に開いた安養寺も属する真言宗と、最澄が比叡山に開いた天台宗が2大密教と言われる)独自の信仰対象として知られるほか、禅宗(月窓寺の属する曹洞宗や臨済宗、黄檗宗など)や日蓮宗(蓮乗寺が属する)など幅広い仏教諸派や、修験道でも信仰されています。
安養寺は密教寺院だからか、本堂や境内の雰囲気こそ閑静でひっそりとしているものの、見どころがはっきりしているのが特徴です。
見どころに値する境内に祀られたものの説明が看板にしっかりと書いてあり、大規模でないお寺の境内にしては非常に解説が親切でわかりやすいものとなっています。
最初の見どころは山門へ続く参道に建てられている「庚申供養塔」と「六地蔵」で、五日市街道を背に左手に見えてくるでしょう。
安養寺の庚申供養塔は、旧北多摩郡でも最古の庚申供養塔となっており、吉祥寺の新田開発に携わった人々の名前が銘文として刻まれています。
中でも女性の名前が多いのが特徴となっており、当時としては十数人にわたり女性の名前が記されることは稀であったそうです。
この庚申供養塔は市の有形文化財となっており、その旨がちゃんと脇に建てられた看板に明記してあります。
街道沿いとは思えない静かな境内は江戸時代の梵鐘(ぼんしょう)など見所いっぱい!
境内に入ると、左手が弘法大師堂(葬儀等を行う場所)、真ん中が本堂、右手が寺務所・庫裡というような複数の建物で構成されていて、境内は五日市街道がすぐそばを通っているとは思えないほど静やかで、自分以外に参拝者はおらず、落ち着いて参拝ができました。
境内の右手側手前には立派な梵鐘があり、伝わるところによればこの梵鐘は江戸時代のもので、吉祥寺村の小美野(濃)源助が安養寺に奉納したものであるそう。
梵鐘としては大きめのサイズで、刻銘や龍頭の二本の角などの江戸期ならではの特徴があり、市の有形文化財に指定されていますが、江戸時代の梵鐘は市でもここのものが唯一です。
本堂手前には特徴的な天燈鬼立像、寺務所付近には弘法大師を象った修行大師像、武蔵野吉祥七福神の布袋尊の像も建っており、特に布袋尊は柔和な笑みを浮かべていらっしゃいますので、忘れずに見ていきましょう。
御朱印は寺務所で!本堂へのお詣りも欠かさずに
御朱印は寺務所でいただけますが、法会・法務中など住職が対応できないときは書置きのものが用意されているようです。
本尊である不動明王の御朱印と、武蔵野吉祥七福神の布袋尊の御朱印の2種類があるので、両方いただくのがおすすめです。
御朱印を所望すると本堂へのお詣りを勧めてくださいますので、ご好意のまま本尊の不動明王様を拝みに参りましょう。
なお、筆者が行ったときもそうでしたが、本堂は夕方以降に行くと閉まっていることが多いので、注意しましょう。
安養寺は閑静だが歴史ある立派な神社だった
安養寺は雰囲気こそ非常に閑静で、入り口も少しわかりづらいものの、開山は寛永元年(1624年)と古く、吉祥寺の開墾よりも前のお寺ということもあり、静やかな歴史の重みをゆっくりと感じることができます。
今では寛文年間に遷座されたお隣の武蔵野八幡宮の方が参拝客も多く目立っていますが、四軒寺の1つとして吉祥寺の地を長年守り続けてきた安養寺もまた、決して忘れてはいけない存在です。
今度の週末は、地元民もそうでない方も、改めて安養寺に参ってみてはいかがでしょうか。