外から見る吉祥寺
吉祥寺に住んでない唯一無二の吉祥寺ってこんな街ライターなので、正直吉祥寺にまつわるエピソードがほとんどない。唯一無二の使い方が間違ってることは知っているからそっとしておいてほしい。
そんなこばやしは、最近、昆虫食とコンビニで同じものを買い続けたら、あだ名が買ってる物の名前になるのかという事に興味がある。どちらも吉祥寺になんら関係もない(やったことがある人がいたら純粋に知りたい)
吉祥寺でドッペルゲンガーに出会ったこともないし、勧誘型の宗教に誘われたり、知らない人に知らない名前を呼ばれて「久しぶりじゃーん」と軽く10分くらい世間話をしてしまったこともない。駅前で、永遠にカバディされたこともない。
井之頭線の電車にのっててイヤフォンの片耳を取られて「おれたち、前世で会ったことあると思う(飲酒)」と言われたことないし「彼氏どんなひと?」って聞いて「ん?二足歩行だよ」と言ってくる友人は吉祥寺には住んでない。
なんというか、吉祥寺はもの凄くお洒落で平和なイメージしかない。田舎からみる都会のイメージとほぼ一緒。
しかし都会のイメージに加えて、吉祥寺には掘り出し物が凄い街という認識がある。めっちゃお金持ちの最先端みたいなマンションに住んでしまっている人が「昔、婆ちゃんにもらった宝物なんだ」といって古びた可愛いパッケージの缶を出して来て、それを開けると二眼レフで撮影した味わいのあるフィルムが出てくるみたいな感じ。
こんな知識だけでこうやって、ここで吉祥寺のことを書く事をしようとしているのだから、周りと違ってスタートが五歩くらい後ろだ。
「吉祥寺の駅前はファミマがあって、三歩歩くとファミマがある。ファミマの大渋滞だよ。」と友人が笑っていたのをふと思い出したけど、ファミマとファミマの間隔よりも遠いのだ。悔しい。
唯一、エピソードがあるとするなら、そのファミマ大渋滞説を立証したい友人の話くらいで。元々地方出身だったんだけど、好きな人が住んでた吉祥寺に越してきたって言っていて。
好きな人?って聞くと「友達のお姉さん、この間結婚しちゃった」と小さく笑う。私は思わず口を手で塞ぎながら、とんでもねぇドラマみたいな恋愛しててくそわろた涙出ると思った。
その人に教えてもらったとかいうお店、古本屋、映画館もそうだし、あの呑み屋街もそう。公園も。好きな人が好きだったといってた場所を散歩するとそこにはその人の香りがあって、いつまでも忘れられないって言っていた。コンテンツ溢れる吉祥寺だから余計に思い出す要素があるんだとか。空を見上げていうものだから、少し鳥肌がたったのだけれど。
そんなエモーショナル吉祥寺は、映画の舞台だったり曲の中に存在しているし、場所ひとつ一つに忘れられないかけがえのないものがあり続けているのだろう。
個人的に吉祥寺という街にまだエピソードはないかもしれないけど、きっと今後その先をいくエピソードが待っている気がするから、私は、吉祥寺を日々開拓していく修行にでることにしよう。
吉祥寺といえば「PARKS」染谷将太
「吉祥寺といえば?!」と言われると井の頭公園を舞台にした映画「PARKS」とかエンタメ系が頭に浮かび上がる。吉祥寺で過ごしてきた時間が少ない開拓中の小林です。生温い目で見てほしい。
その映画に出演してる染谷将太が大好物だから「PARKS」を観たし、瀬田なつき監督の映画が好きだった。大好物って、染谷将太は食べれないけど、ほとんど食べてるみたいなものだ。身体の1.28%は染谷将太でできている。
中学生の頃から染谷将太を息を吸うのと同じくらい重んじているのだ。
彼が年明けに結婚発表をした年の1月1日。友達からはあけましておめでとうより先に「染谷結婚したよ?!生きてる?!」という多数のLINEが画面を埋めていた。消え去りたい過去。幸せになってくれてありがとう。あわよくば、私と幸せになってほしかった。
瀬田なつき監督が指揮をとるこの作品
冒頭で流れてくる言葉のとおり井の頭公園100周年記念製作のものである。
それと同時に、2014年に閉館した吉祥寺バウスシアターのオーナーで、本作ゼネラルプロデューサーの本田拓夫氏の「吉祥寺」と「井の頭公園」を舞台とした映画を作りたいという思いから生まれた作品であると言われているってインターネットが言ってた。
全て吉祥寺で撮影されているから、聖地巡りが余裕だ。歩けば聖地。走っても聖地。染谷が座った椅子にだって座れてしまう。本当に同じ時代に生きてるって素晴らしい。あわよくば、同じ空気を吸いたかったけれど。
過去と現在を繋ぐラブロマンスだなんて、簡単にいっていいものか。時代の境目がわかりづらいとの声も多いが、時を跨ぐ表現が多彩なので、注目してみてほしい。
なにより、3人の想いが駆け巡り身体全身で青春をかんじる映画であり、のんびりとした「あの頃」の時間を体感することもできる映画に思える。
3人で公園を走り回っているシーンが特に印象的だった。紛れもなく「唯一無二」とはこの事だろうと肌で感じてしまった。青春は一瞬だなと途方に暮れたくもなる。
映像も音楽も全体的に淡く、街並みもレトロでお洒落にみえるのは吉祥寺のおかげだろう。それに吉祥寺の魅力を知っている人が作っている映画だから、だろう。
いかにもサブカルチャー感が溢れ、吉祥寺ならではの映画であることに意味があることを示している。
間違いなく、井の頭公園と吉祥寺が好きになると思う。私もあんな大学生生活送りたかったし、あのアパートにだって住みたかった。
私も染谷がいる吉祥寺になら、公園でいいから住みたいし売れなくてもいいからバンドマンとして染谷に出会いたい。
いや、でも、ちがうんだ。
そんな人生じゃなくて、染谷将太のもっているマイクになりたい人生だったんだよ。
もしくはかけてる眼鏡。
戯言は置いておいて、コロナが落ち着いたら、「PARKS」を感じながら吉祥寺を練り歩く会(1人)でも実行して、エピソードを増やしてくることにしよう。
(あらすじ)
1960年代と2017年の吉祥寺を舞台に、公園と街を通して過去と現在の音や物語が重なり合う音楽青春物語。ある日、吉祥寺に住む大学生の純(橋本)のもとに、死んだ父の昔の恋人を探す高校生のハル(永野)がやってくる。ふたりは、昔の恋人の孫のトキオ(染谷)に出会い、彼女の遺品からオープンリールテープを見つける。
「PARKS」映画(こばやし視点)
吉祥寺の行きつけ「珈琲立吉」
もうだいぶ時が流れ、住んでいるこの街も年齢を重ねるごとにお洒落な街並みになり若者も増えた。
しかし、街が変わっていく中でも、あの頃彼女と過ごした吉祥寺に帰ることができる場所がある。
それが行きつけの「珈琲立吉」だった。
年齢のせいか少し重たい足もここに行く時は軽く思える。
杖も、軽やかに地面を弾く。
まるで、時が徐々に戻っていくような感覚だった。
寛ぎへの扉を開けると、珈琲の芳ばしい香りが鼻をかすめ、古めかしい味のある雰囲気と昔ながらの喫茶店といった風情に安心感を覚えた。
タイムスリップをするとは、このことだろう。
40年前、珈琲立吉が開業し、20年前にこの場所に移り変わる様も見てきた。
あの頃の自分と彼女を思い出し、昔の吉祥寺の雰囲気を肌で感じとることのできる空気感がいつまで経っても、愛おしいものだ。
私はいつも通り手前の席に座り、使い込まれた飴色のテーブルに被っていたハットを置いて息をつく。
白髪の混じった小柄な店主は、座って新聞を読んでいたが、私に気がつくとゆっく り動きだす。
私が小さく「ココアを」と言うと、彼は微笑んだ。
ダンディな彼の淹れる一杯が美味しいのだ。
スッキリとした甘すぎないそのココアが身体に馴染んでいくと、時間が止まっているような静寂が身を包みこむ。
そういえば、彼女もここのココアが好きと言っていた。
鼓膜を静かに揺らす店主の優しい声と、格別な一杯を淹れる音。
そして彼と 「吉祥寺」について語りはじめると、たちまちここは、吉祥寺語り部会になる。
あぁ、この時間だ。ここにくれば、彼 女を思い出すそのきっかけにもなる。
安心の息が空気に溶けていくのがわかる。
私はやはりここが好きなのだ。
この時間が何十年も愛おしい。
またタイムスリップをしに、私は「珈琲立吉」に足を運ぶだろう。