第二回『ディスクユニオン』
「ここ、昔タワレコだったんだよ」「タワレコ?」「タワーレコードの略ね」彼女は「それは知ってるよ!」と言ってふくれてみせる。
僕の彼女は可愛い。
三つ編みをアレンジした髪型も可愛いし、ちょこんと頭に乗せたベレー帽も可愛い。
でも、彼女は音楽を聴かない。
もちろん吉祥寺にタワレコがあったことも知らない。
ディスクユニオンがパルコに移転したことも。
「ねえ、このあとどこ行く?」
彼女が僕に訊ねる。
僕はディスクユニオンに行きたい。
だけど、そんなことは言えない。
もちろん「どこでもいいよ」とも言えない。
彼女に優柔不断なダサいやつだと思われたくないからだ。
僕は思考を回転させて彼女が喜びそうなお洒落スポットをひねり出そうとする。
カフェ? カフェなのか?カフェだとしたらどんなカフェなんだ? コピス付近をうろうろしながら僕はジャーに祈った。
頼む、今こそお洒落カフェの知識をこの手に!
「レコード屋に行きたいんでしょ?」
え? 僕は驚いて彼女の顔を見た。
「パルコに入ってるレコード屋に行こうよ。私が選んであげる」
彼女はそう言うと僕の手を取って、リスのようにするすると雑多な商店街をすり抜けていった。
ミルフィーユたい焼きにも、さとうのメンチにも関心を示さず。
「人生初のジャケ買いだ」
彼女は意気盛んに「A」のコーナーからディグっていった。
その手つきはけっこう様になっていた。
彼女はどんなレコードを選ぶんだろう、わくわくしながら待っていると、彼女は頬を赤くさせながらレコードを抱えてやってきた。
「これ可愛い」
彼女からレコードを受け取ると、そこにはアフロのおじさんが困った顔をしてハムを持って立っている姿が映されていた。
なんか思っていたのと違う。
なんでこのおっさん困った顔してんの? なんでハム持ってんの? 僕は彼女の情緒が心配になった。
でも、彼女が初めて選んだレコードだ。何も言うまい。
僕は彼女に「いいね」と言って、レコードを抱えてレジに並んだ。
タグを見ると汚い字で「パンク」と書かれていた。
第一回『CLUB Dada』
ワインショップ、クレイジーワインの入口脇にある階段を上がると、カウンターだけの小さなバーがある。
階段には常にワインの在庫が置かれていて、「え? ここ入っていいの?従業員専用?」感があるけれど、大丈夫。
〝クレイジー〟ワインの二階だからといって怖がらなくていい。
そこはちょっとだけダダで、ちょっとだけシュルレアリスムな空間が広がっている。
美術学校を卒業して三年、結局就職ができなかった私は「やべえ」と思いながらも、ダラダラと気ままなフリーター生活を送っている。
「やべえ」という気持ちは週に一回ぐらいやってきて、そんなときはDadaでビールを二杯、もしくはワインを二杯飲んで気を紛らせている。
「ねえ、これデュシャンの作品なんだよ」隣に座っている若い男が、連れの女性に、スツールの上に自転車の車輪がくっついたオブジェを指して説明をしている。
「へえ、何という作品なの?」「ええと……」私は作品の名前を知っている。
デュシャンが作ったこの最初期のレディ・メイドは驚くほどシンプルな名前だ。
若い男は「たしか、折れた腕に添えてだな」と言って、ハイボールをすすった。
女性は満足そうに頷いてラム肉を口に運んだ。デュシャンの作品には人を食ったような名前の作品が多い。
『彼女の独身者によって裸にされた、花嫁さえも』とか、『(1)落下する水、(2)照明用ガス、が与えられたとせよ』とか。だから彼がタイトルを間違えたとしてもおかしくはない。
きっとデュシャンは空の上で笑っている。唐突に私はこの瞬間に名前をつけたくなった。
『退屈な酩酊の夜、さえも』、『たしかな存在を無視して』多分、私は笑っていたに違いない。
カウンターの中にいる店員さんが「どうしたの?」というような表情で、私を見た。
私はほほえみながらマコンの赤を注文した。
会計を済ませた私は、気楽な気持ちで『自転車の車輪』を回す。
そして狭い階段を降りて外に出た。
空気は想像していたよりもずっと親密だった。
我妻許史( わがつまもとし)ライター。
パティ・スミスに影響を受けて文章を書き始める。杉並と武蔵野を愛して二十二年。